『近代陶磁器業の成立(日本学術論叢5)』奈良本辰也[著](伊藤書店/1943年初版/全104頁)
『近代陶磁器業の成立(日本学術論叢5)』奈良本辰也[著](伊藤書店/1943年3月30日初版発行/全104頁)
はしがき(ⅰ-ⅱ)
目次 (Ⅰ-Ⅱ)
近代陶磁器業の成立 (1-104)
序論 (3-15)
一 陶磁器業における近代化の問題 (3-7)
二 近世陶磁器業の概観 (7-15)
一、陶磁器業近代化の起点 ―明治初年の陶磁器業― (17-25)
一 産地 (17-21)
二 生産形態 (21-25)
三 要約 (25)
二、陶磁器業近代化の展開 (27-64)
一 海外市場 (28-37)
二 在来産業解体期における反省 (37-44)
三 工場制工業の移植 (45-54)
四 小生産 (54-64)
三、近代工業の確立 (65-101)
一 近代化における特質の闡明 (65-84)
その一、錦窯への移行=粟田焼 (65-74)
その二、錦窯を中心とせる生産掌握=名古屋絵付 (74-84)
二、近代化の前提とその成熟 (84-94)
三 近代化の完成 (94-101)
結論 (103-104)
-----------------------------------------------
はしがき
近代産業史を試みる人にとって陶磁器業は最も注意を惹かなかったものの一つである。趣味的に取扱はれたもの以外で、陶磁器業に関する論文を拾はうとすれば恐らく十指を以て数ふるにも足りないであらう。そして夫等と雖も猶、断片的なものが多い様である。
にも拘らず、私の如き菲才のものが敢へて此れを為さうとするのは、陶磁器業自身のものである地道さによるのである。
何時の時代にしてもさうであらうが、特に現在の様な時局に際して学問や研究は決して華々しさを競ふ必要はない筈である。百の空疎な理論よりも一つの実証的研究が要求されてゐるのだ。
私は現在に奉ずる唯一の態度として、そうした要求に副ふこと以外に道はないと信じてゐる。
陶磁器業は、ともすれば世間の華々しさに惹かれようとする私にとって良い薬であった。多くの学に志す人々から忘れられたようにある此のものの歴史は、確に、私に学問の真面目さを一層深く教へて呉れたのである。
出来上って見れば、ただこれだけのものに過ぎない。然し資料の不足とそれから来る無駄な努力は幾度か私を逡巡させた。
だが、こうした場合つねに私を励まして呉れる多くの友人を持ったことは少からざる幸福であった。其中でも友人、鎌田久明氏と伊藤書店の編輯部の方々の常にかわらない厚情は本書の成るに当って忘れ難いものがある。特に記して感謝の意を捧げたいと思ふ。
最後に、とに角私は近代陶磁器業の成立についてまとめて見た。然し、これはまだ単なる試みである。多くの独断と論拠の不確実を残してゐるに相違ない。同学の士の批判と叱正が他日の正確を期するあらば幸甚である。
昭和十八年三月
奈良本辰也
奈良本辰也著作リスト以下から
http://kohno.at.webry.info/201108/article_84.html
奈良本辰也著書リストは以下から
http://kohno.at.webry.info/201108/article_83.html
はしがき(ⅰ-ⅱ)
目次 (Ⅰ-Ⅱ)
近代陶磁器業の成立 (1-104)
序論 (3-15)
一 陶磁器業における近代化の問題 (3-7)
二 近世陶磁器業の概観 (7-15)
一、陶磁器業近代化の起点 ―明治初年の陶磁器業― (17-25)
一 産地 (17-21)
二 生産形態 (21-25)
三 要約 (25)
二、陶磁器業近代化の展開 (27-64)
一 海外市場 (28-37)
二 在来産業解体期における反省 (37-44)
三 工場制工業の移植 (45-54)
四 小生産 (54-64)
三、近代工業の確立 (65-101)
一 近代化における特質の闡明 (65-84)
その一、錦窯への移行=粟田焼 (65-74)
その二、錦窯を中心とせる生産掌握=名古屋絵付 (74-84)
二、近代化の前提とその成熟 (84-94)
三 近代化の完成 (94-101)
結論 (103-104)
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はしがき
近代産業史を試みる人にとって陶磁器業は最も注意を惹かなかったものの一つである。趣味的に取扱はれたもの以外で、陶磁器業に関する論文を拾はうとすれば恐らく十指を以て数ふるにも足りないであらう。そして夫等と雖も猶、断片的なものが多い様である。
にも拘らず、私の如き菲才のものが敢へて此れを為さうとするのは、陶磁器業自身のものである地道さによるのである。
何時の時代にしてもさうであらうが、特に現在の様な時局に際して学問や研究は決して華々しさを競ふ必要はない筈である。百の空疎な理論よりも一つの実証的研究が要求されてゐるのだ。
私は現在に奉ずる唯一の態度として、そうした要求に副ふこと以外に道はないと信じてゐる。
陶磁器業は、ともすれば世間の華々しさに惹かれようとする私にとって良い薬であった。多くの学に志す人々から忘れられたようにある此のものの歴史は、確に、私に学問の真面目さを一層深く教へて呉れたのである。
出来上って見れば、ただこれだけのものに過ぎない。然し資料の不足とそれから来る無駄な努力は幾度か私を逡巡させた。
だが、こうした場合つねに私を励まして呉れる多くの友人を持ったことは少からざる幸福であった。其中でも友人、鎌田久明氏と伊藤書店の編輯部の方々の常にかわらない厚情は本書の成るに当って忘れ難いものがある。特に記して感謝の意を捧げたいと思ふ。
最後に、とに角私は近代陶磁器業の成立についてまとめて見た。然し、これはまだ単なる試みである。多くの独断と論拠の不確実を残してゐるに相違ない。同学の士の批判と叱正が他日の正確を期するあらば幸甚である。
昭和十八年三月
奈良本辰也
奈良本辰也著作リスト以下から
http://kohno.at.webry.info/201108/article_84.html
奈良本辰也著書リストは以下から
http://kohno.at.webry.info/201108/article_83.html

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