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zoom RSS チェルノブイリの後遺症は続く(その1)

<<   作成日時 : 2012/05/07 19:50   >>

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http://kohno.at.webry.info/201206/article_18.html

チェルノブイリの後遺症は続く


チェルノブイリ原発事故による黒海の放射能汚染

チェルノブイリによる分断

厳重な管理下におかれた地域

チェルノブイリ禍残る白ロシア

チェルノブイリ問題

チェルノブイリの後遺症は続く

きのこと放射能について



イワンとミーシャの会 訳編


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(1990年3月)
005
(会のシンボルはスタジオ・クレイの水戸さんのデザイン)

----- 表紙 -----

001「チェルノブイリ原発事故から1000日」
http://kohno.at.webry.info/201202/article_9.html (その1)
http://kohno.at.webry.info/201202/article_10.html (その2)
002「チェルノブイリ/その過去と今後の展望」
http://kohno.at.webry.info/201202/article_13.html
003「チェルノブイリ・ノート」より
http://kohno.at.webry.info/201202/article_34.html (その1)
http://kohno.at.webry.info/201202/article_35.html (その2)
004「チェルノブイリのこだま」
http://kohno.at.webry.info/201202/article_42.html
005「チェルノブイリの後遺症は続く」
http://kohno.at.webry.info/201205/article_1.html (その1)
http://kohno.at.webry.info/201205/article_2.html (その2)
006「特別な注意を要する地域」
http://kohno.at.webry.info/201206/article_14.html (その1)
http://kohno.at.webry.info/201206/article_15.html (その2)
007「放射能ゾーンの子供たち」
http://kohno.at.webry.info/201209/article_2.html


(まえがき)

 「チェルノブイリ原発事故による黒海の放射能汚染」はソ連の学術雑誌に掲載された論文である。あまり面白味のない文章だが、水の汚染という観点から冊子に収録した。冊子001には政府の役人であるV.F.スミルノブが次のように語っている。‘…。食料品もきれいなものをよそから持ち込めばなんとかなる。しかし、きれいな水だけはこの汚染地域内で見つけなければならなかった。…’。もし、この国で原発事故により水源地が汚染されたらいったいどうなるのだろうか? 近畿圏において琵琶湖が放射能で汚染されたなら…。
 「チェルノブイリによる分断」はウクライナ共和国におけるセシウム137の汚染地図が掲載されている。事故を起こした原発のあるこの共和国より、その北側に位置する白ロシア共和国のほうが放射能汚染が著しいのは悲しむべき現実である。
 そのほか、汚染地域に住む人たちの現状に関する記事を載せた。絶望的な世界に住む人たちが今も存在することを、あらためて考えさせられる。

----- i -----

チェルノブイリの後遺症は続く

  項目

チェルノブイリ原発事故による黒海の放射能汚染            ・・・・・ 1
  表1.黒海の表層水に含まれる懸濁物中の放射怪核種の濃度(1986.06)・・・・・ 6
  表2.黒海の西側地域で採取した海底堆積物に含まれる放射性核種(1986.06)・・・・・6
  図1.採水地点と黒海の表層水に含まれる137Csの濃度分布(1986.06.12〜07.06)・・・・・ 7
  図2.黒海の表層水に含まれる90Srの濃度分布(1986.06〜07)・・・・・ 8
  図3.黒海の表層水に含まれるトリチウムの濃度分布(1986.10)・・・・・ 9
  図4.採水地点と表層水に含まれる137Csの濃度分布(1986.10)・・・・・10
  図5.黒海における137Csと134Csの濃度の深さ方向分布(1986.10)・・・・・11
チェルノブイリによる分断            ・・・・・13
ウクライナ共和国における137Csの汚染地図    ・・・・・14
厳重な管理下におかれた地域           ・・・・・15
チェルノブイリ禍残る白ロシア          ・・・・・22
チェルノブイリ問題               ・・・・・24
チェルノブイリの後遺症は続く          ・・・・・28
きのこと放射能について             ・・・・・32

----- ii -----

チェルノブイリ原発事故による黒海の放射能汚染
(1986年10月現在)

 この論文でわれわれは1986年6月〜7月と10月におこなわれた黒海の放射能汚染に関する調査結果を報告する。我々の目的は、主として事故により放出された放射性核種による海水の汚染とそれら放射性核種が人間の健康に及ぼす危険の程度を確かめることであった。また、これらの結果はこの海の自浄作用に関する息の長い調査の最初のものである。
 外国の研究者も1986年6月に黒海の南西海域を調査している[文献1]。われわれと彼らの調査結果の比較は後でおこなう。
 使用した採取器具や使用方法、放射性核種の濃縮方法は[文献2]に示されている。セシウム137、セシウム134、ストロンチウム90及びトリチウムの濃度の測定には十分な注意が払われた。
 図1に示すように、放射性セシウムによる表層水の汚染は水面に降下した放射性物質の量が均一でないため一様とはなっていない。黒海の西の海域は、放射性降下物が他の海域に比べて多かったことが原因で、明らかに他より汚染している。
 事故前は表層水中のセシウム137の濃度が1リットル当り 0.5ピコキュリー【0.0185ベクレル】前後の一様な分布が観測されていた[文献3]。1986年6月に測定されたうちの最大濃度(海水1リットル当り14ピコキュリー【0.519ベクレル】)は事故前のレベルと比べて約30倍高かった。しかし、絶対的な言い

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方をすると、飲料水に対する許可基準である1リットル当り1.5 x 10E-08キュリー【556ベクレル】の1,000分の1以下であった。したがって、原発事故からのセシウム137による海水の汚染は、いかなる放射生態学的リスクも与えない[訳注1]。
 最も危険な核種の一つであるストロンチウム90の濃度分布はセシウム137のそれと類似していた(図2)。検出されたストロンチウム90の濃度の最大値(海水1リットル当り3.3 x 10E-12キュリー【0.122ベクレル】)は飲料水中のストロンチウム90の許可機銃(1リットル当り4 x 10E-10キュリー【14.8ベクレル】)に比べて120分の1以下であった。1977年には、黒海表層水中のストロンチウム90の濃度の平均は海水1リットル当り0.6ピコキュリー【0.0222ベクレル】で、全海域にわたって大きな変化はなかった。1986年6月の調査では、黒海西側の海域の表層水に含まれるストロンチウム90の濃度の平均は1リットル当り0.6 ± 0.04 ピコキュリー【0.0222 ± 0.00148 ベクレル】で事故前のレベルとほとんど同じ値であった。このように、ストロンチウム90による海水の汚染に関しては、事故の影響は黒海の東海域にのみ際だっており、そこでは事故前のレベルと比べ3倍の濃度の増加が
 1977年におこなわれた測定によれば[文献3]、黒海の表層水に含まれるトリチウム濃度の平均は、黒海の西と東の海域でそれぞれ 35 ± 6 TU(ト


[訳注1]海水の放射能レベルを飲料水の許可基準と比較するのも変な話である。許可基準そのものが政治的な基準であって、絶対的なものではない。したがって、たとえ許可基準以下だからといっても安全である保障はない。この場合は、事故前に比べて生物に対する危険度が30倍高くなったとするのが正確な表現ではないだろうか。

----- p.2 -----

リチウム・ユニット[訳注2])であった。図3は平均が34±5TUの一様な濃度を示している。そしてこのように事故後も、海水中のトリチウム濃度の増加は観察されていない。
 黒海の南西海域におけるセシウム137の濃度に関するデータと文献1に示されている結果とを比較しよう。採取地点14、15、16(図1を参照)については、6月の濃度はそれぞれ海水1リットル当り1.3,1.4,3.0ピコキュリー【0.0481、0.0518、0.111ベクレル】であった。リビングストンら[文献1]は海水1リットル当り2.0、1.6、0.9ピコキュリー【0.074、0.0592、0.0333ベクレル】という値を見いだしており、このことはデータがよく合っていることを示している。
 6月〜7月の調査で事故による放射性物質はまだ不連続層[訳注3]より下へは移動していないことがわかった。30〜40メートルの深さでのセシウム137の濃度は海水1リットル当り約0.2ピコキュリー【0.0074ベクレル】であり、事故前のレベルと異なってはいない。
 表1と図1に示されたデータの比較から、当然の結果として、セシウム137とセシウム134は海水中で主として溶解状態で見つかることになる。主として微粒子状態で見つかる放射性核種については、その濃度は高くない(海水1リットル当り1ピコキュリー【0.037ベクレル】以下)。15の地点から採取した試料に含まれる撒粒子状の放射性核種は例外であった: ――― 例えば、セリウム144、セリウム141、ジルコニウム95、ニオブ95の濃度は他の採取地点の濃度


[訳注2]トリチウム・ユニット(TU)はトリチウム濃度を表す単位。1TUは水素原子1,000,000,000,000,000,000個の中にトリチウム原子1個が存在している割合を表す。核実験がおこなわれる以前の環境中でのトリチウムの存在割合である。トリチウムは環境中では宇宙線と大気を構成する元素(窒素、酸素など)の原子核とが核反応を起こして生ずる。
[訳注3]海面の動きやすい海水の層と、海底の動きにくい海水の層の境界。


----- p.3 -----

より高い。このことはおそらく、微粒子状の試料を採取中に、ホット・パーティクル[訳注4]を捕獲したことが原因であろう。
 この期間に、普通の深さ(30メートル未満)での海底体積物の中に事故によって放出された放射性核種が観察された。より深い場所では、海底体積物中の事故の副産物は存在していなかった(表2)。やがてその場所においても、海底の汚染が、主として微粒子の沈降によって起こるものと思われる。海底体積物に含まれる放射性核種は主として短半減期の核種によるものであった。この調査期間において、半減期の長いセシウム137の濃度は事故前の観察結果[文献5]と異なってはいない。 1986年10月11日〜19日に調査した際のセシウム137の濃度分布は、水平及び垂直方向への水の混合と、大気中から事故の副産物の降下が終了することによって、すでに 6月の調査の際に比べて一様になっていた(図4)。10月の調査において表層水中の濃度の最大レベルは海水1リットル当り6.7ピコキュリー【0.248ベクレル】であり、その値は6月の時と比べて2分の1の値であった。1986年10月に、50メートルの深さまでの詳細なセシウム137とセシウム134の濃度の垂直方向の分布が調査された。その分布の様子は全サンプリング地点で多かれ少なかれ類似していた。すなわち、濃度は不連続層に至るまで深さとともにゆっくりと増加し、その後急激に減少する; 40〜50メートルの深さでは、セシウム137の濃度は事故前と異なってはいない。従って、6月の調査結果と同じように10月においてもセシウム137とセシウム134は不連続層上部に集中していた。深さ方向の分布(図5)から求めた0〜50メートルの範囲におけるセシウム137の濃度の平均は海水1リットル当り2.7ピコキュリー【0.0999ベクレル】であった。事故前にこの範囲でセシウム137の濃度の平均は1リットル当り0.4ピコキュリー【0.0148ベクレル】


[訳注4]非常に高い放射能を帯びた微小粒子。


----- p.4 -----

であった。従って、事故によって放出された量はおよそ海水1リットル当り2.3ピコキュリー【0.0851ベクレル】であった。0〜58メートル層で19,600平方キロメートルの水の量を考えると、事故の副産物の流入による水中のセシウム137の増加の総量は45キロキュリー【1,665兆べクレル】であった。海水表面のセシウム137に対するセシウム134の濃度比(Cs-134/Cs137)は全海域で平均0.47±0.01と一定であり、その値は10月の調査では0.33±0.003となっていた。時間に伴うこの比の変化により、黒海の海水の混合率が決定できる。

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参考文献
[1]Livingston H., Clorke W., Honjo S. e.a. Chernobyl fallout studies in the Black Sea and other ocean areas. EML-460, 1986, p.214-223.
[2]Методические рекомендации по опедлению радиоактивного загрязнения водных обдных объектов.  Под ред. С.М.Вакуловского. М.:Гидрометеоиздат, 1986, 70 с.
[3]Вакуловский С.М., Катрич И.Ю.,Краснопевцев Ю.В. и др.  Пространственное распределение и баланс 3H и 137Cs в Черном море в 1977г. ―Атомная энергия,1980, т. 49, вып. 2, с.105―108.
[4]Хормы радиационной безопасности НРБ-76. М.:Атомиздат,1978,56с.
[5]Вакуловский С.М., Краснопевцев Ю.В., Чумичев В.Б.  Распределение 137Cs и 90Sr между водой и донными отложениями в Черном море в 1977г.―Океа― нология,1982,т.22,вып.6,с.966−969.



【アトムナヤ・エネルギヤヤ,pp.134−137,1989.08.02】

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チェルノブイリによる分断

 《ソビエツカヤ・ウクライナ》紙の記者がおこなった汚染地図についての質問に対するウクライナ共和国代議員Г.Г.ホトゥリディスの話。

 3月の初めに、あなた方の新聞に私たちが作成した汚染地図が掲載されました。その地図はチェルノブイリ原発事故の結果、隔離すべき地域と常時またはときおり監視をおこなうという条件つきで帰宅が許される地域に印をつけたものでした。当然それらの地域を安全に生活できるようにするにはいろいろな苦労がありました。
 私たち代議員全員に資料を報告することに引き続き、ウクライナ共和国の国民、新聞・雑誌社、他の共和国などに汚染した地域を閉鎖したことを知らせるとともに、今日の状況を説明します。
 なぜセシウム137に関する測定結果を重視するかというと、まず最初にセシウム137は臨時に設定された境界内における土壌汚染の重要な要素だからです。基礎となる空間線量率と土壌のガンマ線スペクトル分析の結果から得られた汚染の現状について報告します。それに、汚染された地域でおこなわれている大規模な活動についても付け加えておきます。セシウム137で汚染した地域では汚染が1平方キロメートル当り15キュリー【1平方メートル当り55万5,000ベクレル】を越える境界線の内側では住民の避難が決定され、農業改良事業などがおこなわれています。いま必要なことは、汚染のない食料を補償することです。


【1989年4月12日付 ソビエツカヤ・ウクライナ紙】

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厳重な管理下におかれた地域

 チェルノブイリの原発事故から、はや千日がたちました。さらに百日、そしてまた百日とたっていくことでしょう。すべてがうまくいって元どおりになるのも遠いことではないだろうという期待が、その一日一日を生きてゆく励みになりました。
 ところが一年たっても、二年たっても事態の大きな変化はみられませんでした。最終的なものではないとしても、結論はきびしいのです。多くの被害地域では、子供も大人も老人も、厳重な衛生管理のもとで生きるすべを身につけなければなりません。それとも、もしかしたら住み慣れたこの場所から永遠に立ち去らなければならないのでしょうか?


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 程度はさまざまですが、放射能汚染地域は白ロシア共和国【チェルノブイリはウクライナ共和国にある。白ロシアは隣接する共和国。】のおよそ5分の1の面積を占めています。1986年の6月から8月にかけて、1万9千人の住民が75の村や町から疎開しました。そこに残っていては危険だったのです。ゴメリ州とモギリョフ州の合わせて10万人以上の人口を抱える400を超える集落が恒久管理地帯に入れられ、ここでは現在でも放射能除去作業、特別な農芸化学や土地改良の事業が続けられています。食料品は他の地域から送り届けられています。

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病める土地

 チェルノブイリからゴメリ州のポイニキ市まではわずか54キロの距離です。ここは、きびしい衛生管理体制がしかれている地区のひとつです。またホイニキ地区は、事故後発生した雑多な放射能汚染状況のもっとも典型的な例のひとつです。
 事故の前はこの地区に百の村がありました。そのうち22は移住しなければならなくなり、6つの農場は完全に閉鎖され、3分の1の面積の土地は利用ができなくなりました。

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 バプチン村を救済する闘いが2カ月続けられました。放射能除染の痕跡を今でも見ることができます。柵の古いものは長い間洗ってみましたが、結局焼くことになりました。草原の砂質の土壌はえぐり取られて運び去られました。従来の屋根は土に埋め、新しいスレート屋根に変わりました。それでもよい結果はでませんでした。ある家の窓から壁に掛かっている日めくりのカレンダーが見えますが、1986年6月26日の日付になっています。きっとこの日に、この家も期待に見放されたのでしよう。
 ノボ・ポクロフスク村も事故の前はごく平穏に暮らしていましたが、この村では、家がことごとく取り壊され穴を掘って埋められました。
 森林の中の空き地に立ち寄ってみました。草地の代わりに砂山になっているのは、汚染土壌が埋められた‘墓地’なのです。その名も、なんと疎外ゾーン。もうここへ人々は戻ってこないのです。この大地、林、ここに生息している小鳥やけもの、これらは学者の手に渡され、生きた実験室となるのです。そのために、国立ポレススク生態保護区が設けられます。いっぽうホイニキには、これからどう生きていったらいいかを指示する研究センターがおかれることになるでしょう。

人々の健康のために

 ウラジミール・マチューヒン・アカデミー会員にインタビューしたのは1年前のことです。アカデミー会員は緊要な第一歩を踏み出したばかりのところでした。というのも、11年間も立派に所長をつとめてきたノボシビルスクの研究所を辞めて、ミンスクに設立される放射線医療研究所を主宰することに同意したのです。彼に白羽の矢が立ったのも偶然ではありません。太平洋艦隊の主任放射線技師として原潜事故にさいして、その事後処理に当たってきたからです。私はマチューヒン・アカデミー会員とホイニキで会いました。同氏とラリサ・アスタホア

----- p.17 -----

副所長が住民に会うためにここへやって来ていたのでした。彼は次のように話してくれました。
 「私たちは、住民を現地で検査する総合医療隊をつくりました。ゴメリには診療所を伴った私たちの研究所の支部を開設しなければなりません。この地域の医療のための要員と器材を完全に確保する、というのが現時点での中心課題の一つです…」
 今日医師団は、住民の健康状態をどのように判断しているのでしょうか?
 ミンスク放射線医療研究所の専門家によると、事故後3年間住民には放射線の作用による直接の後遺症は現れていないそうでず。もっとも汚染地区でさえ、今日その受けている線量は、限界許容量、つまり年間 2.5レム【25ミリシーベルト】よりかなり低いのです。
 将来における人々の健康にとってのリスクの程度は小さいと考えられています。例えば、ガン発生の可能性は、百万人当り10件とはじきだされています。

自然から隔離された生活

 ストエチレホ村からチェルノブイリまでは50キロもありません。
 村の学校での会合で私は憂うつな気分になりました。職員室での会話は長時間にわたり、心からのものでした。話題は主として子どものことです。自然との触れ合いがなくなれば、庭や林や、花や木が、突然憎むべきものとなってしまうであろう、そうしたら、子どもたちの生活はどうなるのでしょうか?
 子どもたちは放射能の危険を思い知らされています。学校で毎日12時間過ごさなければならないというのに、校舎の周囲を短時間散歩するだけで、そのあとは校舎から出ていけないのですから。
 学校給食は日に4回となっていますが、前述したように、外で走り回れない

----- p.18 -----

状況なので、子どもたちでさえ食欲が出てくるはずがありません。
 「かわいそうで、まともに子どもたちの目を見ることができません」と、先生たちはこぼすのでした。しかも、家に帰れば、外に出てはだめ、花をつんではだめ、さわってはだめ、と親からたしなめられどおしなのです。
 大人もまた楽ではありません。
 そこでホイニキでは、自分たちの気分や災厄、悩みを国会で代表してくれる、人民代議員を必ず送り出そうとの決定がなされました。こうして人民代議員に選ばれたウラジミール・カシペルコは地元出身のトラクター運転手ですが、チェルノブイリを体験し、今も厳重な管理体制地区で働いています。彼は長くつづいた選挙運動を首尾よく切り抜け、その結果67%という高い支持率で当達しました。チェルノブイリ事故の被害を受けたゴメリ州の5地区をまさに代表したからです。
 何をしなければならないのか、こんな状態に追い込まれたストレリチェボや他の村の将来像をどのように描いたらいいのか、とカシペルコ代議員は頭をしぼります。汚染度と発病率に関する異体的資料を集めよう。線量を確かなものにしよう。われわれの情報は公式筋の情報とはくい違っている。われわれの農場の汚染度を見ると、事態はさらに憂うつだ。事実どこを探しても汚染されていない干し草を手に入れることはできない。ところがわれわれのソホーズ(国営農場)は牛の飼育が専門ときている。そう前置きして、カシペルコ氏は言いました。
 「そこで私たちは考えました。ソホーズの財産は千5百万から千7百万ルーブルというのに、放射能除染、追加支出、人々の健康の維持のために、私たちのソホーズだけではや2千万ルーブルが消えているのです。次のような疑問が起こります。これ以上わざわざ大金を投じて除染を続けたり、道路を建設したりする必要があるのだろうか? 正常な生活の保障がないのであれば何の必要があってなのか?
 にもかかわらず、ソホーズはこの3年間でさらに70戸の家を建てました。何

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のために私たちはそれをここに建てるのでしよう? まだ事故の前のことですが、私自身3部屋のアパートを手にいれたときのことを覚えています。家族全員がすごく喜んだものです。今の家はもっと立派です。設備も全部整っています。ところが人々はそれをもらっても、喜ぶどころか、自分たちはここを出ていくのに賛成だ、というのですよ。
 もちろんお年寄りの人たちにとっては、全部を捨てて新しい場所で生活をはじめるのは辛いことです。しかし若者たちは、特に子どものいる若い家庭は、出ていくのに賛成です。そしてできるものなら、このソホーズもメンバーも維持して同じ場所に移転したいと望んでいるのです。ただ唯一の条件は住宅です。今、非黒土地帯であいている村がいくつかあり、耕作する人のいない土地がどれほどあるか、
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----- p.20 -----

そこに移ったらどうだろうかを考えています。私たちのところの若い家庭は50世帯ですが、有能な農業技師、技術者、会計係、コンバインの運転手、トラクター運転手、自動車の運転手、畜産技師がそろっています。農業機械も持って、彼らを必要としている所があれば、どこでも出かけていって働く覚悟ができているのですよ…」

                        N.プロタソワ
                     写真 A.メリニツキー



編集部より

 編集部は、ゴメリ州の婦人が憂慮している問題にたいする回答をしかるべき省庁がよせてくれることを期待しています。

ソ連保健省への質問

●被災地域に医療関係の職員を十分に保障するために、どんな対策を講じますか。
●個人用計測器の問題解決では、どんな手が打たれていますか。
●ゴメリ州の子どもの健康保持に不可欠な超音波診断器の補充対策は進められていますか

白ロシア共和国社会保障省への質問

●厳重な衛生管理体制下での年金生活者に、勤労者と同じ特典を供与する上での障害は何ですか。

非黒土地帯諸州人民代議員評議会への質問

●連邦人民代議員ウェ・カシペルコの提案を誰が検討してくれますか。


【ソビエト婦人 10,pp. 14−15, (1989)】

----- p.21 -----

http://kohno.at.webry.info/201205/article_2.html (その2)

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