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zoom RSS (1989)チェルノブイリ原発事故から1000日(その1)

<<   作成日時 : 2012/02/04 21:37   >>

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チェルノブイリ原発事故から1000日
―― 特別な注意を要する地域 ――

イワンとミーシャの会 訳編
画像

(1989年5月)

(会のシンボルはスタジオ・クレイの水戸さんのデザイン)
----- 表紙 -----

***** イワンとミーシャの会 *****
「知」るということは民主主義の第一歩だと思います。「知」ることによって「考え」、「考え」ることによってさらに「知」りたいという欲求が生れてくるのだと思います。
 イワンとミーシャの会は仲間に「知」を提供したいと考えて結成されました。この会のメンバーは原発や核関連施設に否定的な考えを持っています。そしてこの会は「知」を生資料に近い形で提供することを原則にしています。それは、「知」が「考え」の基になるものだと「考え」るからです。また、偏った「知」から正確な「考え」を導き出すのは困難なことが多いからです。「知」や会の「考え」は提供できますが、個人の「考え」や「考えること」を強制はできません。「知」を利用するのは、「考え」る主体である個人の問題だと「考え」ます。
(1989年4月7日 代表 河野)

001「チェルノブイリ原発事故から1000日」
http://kohno.at.webry.info/201202/article_9.html (その1)
http://kohno.at.webry.info/201202/article_10.html (その2)
002「チェルノブイリ/その過去と今後の展望」
http://kohno.at.webry.info/201202/article_13.html
003「チェルノブイリ・ノート」より
http://kohno.at.webry.info/201202/article_34.html (その1)
http://kohno.at.webry.info/201202/article_35.html (その2)
004「チェルノブイリのこだま」
http://kohno.at.webry.info/201202/article_42.html
005「チェルノブイリの後遺症は続く」
http://kohno.at.webry.info/201205/article_1.html (その1)
http://kohno.at.webry.info/201205/article_2.html (その2)
006「特別な注意を要する地域」
http://kohno.at.webry.info/201206/article_14.html (その1)
http://kohno.at.webry.info/201206/article_15.html (その2)
007「放射能ゾーンの子供たち」
http://kohno.at.webry.info/201209/article_2.html

----- 内表紙 -----

 ここに記載されている内容は、白ロシア共和国の新聞《ソビエツカヤ・ベラルシア(СОВЭТСКАЯ БЕЛОРУССИЯ)》に1989年2月9日付けで掲載された記事の概要である。
 この記事はソ連国内の放射能汚染分布を最初に伝えた報道で、内容も住民と白ロシア政府とのやりとりが載っていておもしろい。この記事には白ロシア共和国内の汚染地図しか載っていないが、この記事が出たことにより、ソ連共産党機関誌プラウダにも汚染地図を掲載せざるを碍なくなったようである。
 この記事の目玉は住民の質問とあやふやな政府の答弁であるが、記事を読むと、孜府が一番気にしていたのは飲料水であることがよくわかる(p.30)。

----- i -----

チェルノブイリ原発事故から1000日
―― 特別な注意を要する地域 ――

目次

はじめに ・・・・・ 1
住民の趣康は守られているのか?         ・・・・・ 6
専門家の意見(V.N.ブリャク)          ・・・・・ 6
質疑応答                    ・・・・・ 9
放射能はなぜ弱まったのか?           ・・・・・13
専門家の意見(Y.M.ポクメイコ)         ・・・・・13
専門家の意見(A.L.グリシャーキン)       ・・・・・14
質疑応答                    ・・・・・15
汚染地図                    ・・・・・18
《汚染された》土地で《きれいな》麦が作れるか? ・・・・・23
専門家の意見(Y.M.フサイノフ)         ・・・・・23
質疑応答                    ・・・・・26
《汚染地域》にアスファルトを敷きつめる?    ・・・・・30
専門家の意見(V. F.スミルノフ)         ・・・・・30
質疑応答                    ・・・・・31
会合に参加した人の意見             ・・・・・36
おわりに                    ・・・・・38

----- ii -----

チェルノブイリ原発事故から1000日
―― 特別な注意を要する地域 ――

はじめに

 私たちの心の中に《チェルノブイリ(Чернобыль:にがよもぎ)》という苦い言葉が定着した4月のあの日【1986年4月26日】からおよそ3年が過ぎ去ろうとしている。チェルノブイリ原発の爆発は、まるでレントゲン写真のように、犯罪的な無責任体制を写し出し、制御できなくなった《平和利用の原子力》に対して、この社会がいかに無防備であるかを明らかにした。事故の際に、消防士たちが大きな勇気と強さを示したが、一方では現場を放棄した人々がいたことも明らかになった。
 原発事故が起こってからは、雪だるま式に膨らんだ疑問を解決しようとして新聞を丹念に読み、記録映画を見た。しかし、それでも情報は少なかった。事故に関する情報の不足で巷には噂や憶測が乱れ飛び、多くの人々を混乱させた。
 噂や憶測が飛び交うような雰囲気を払拭し事故の状況を明らかにするため、1989年2月2日に住民と白ロシア共産党中央委員会首脳部・白ロシア共和国閣僚会議の合同委員会との間でチェルノブイリ原発の事故処理に関する公開討論会がおこなわれた。この討論会に対する住民の関心の高さは、「住民はその討論会が始まる時間よりずっと前から、会場となる白ロシア労働組合評議会のある建物につめかけていた」という事実から知ることができる。会場内には白ロシア共和国各地域の放射能汚染地図が初めて公開されていた。また演壇だけでなく、質問をおこなう住民側の席にもマイクが設置されていた。

----- p.1 -----

 開会にあたり、合同委員会の議長である白ロシア共和国閣僚会議副議長V.G.エフトゥフ(В.Г.Евтух)は、「白ロシア共産党中央委員会と共和国閣僚会議は、この合同委員会の仕事と住民の健康と安全を守るために汚染地域でおこなわれている活動の内容を住民に知らせる必要がある」ことを強調した。さらに彼は、事故直後からずっと、「原発事故の処理と住民の安全確保が白ロシア共和国の党と政府の中心課題である」と語っていた。これらの課題に関しては、白ロシア共産党中央委員会の前第一書記N.N.スルニコフ(Н.Н.Слюньков)が勢力的に動いた。事故直後から、彼は汚染地域に出かけ、現場で指揮をとり、救援活動をおこなった。
 白ロシア共和国政府と他の組織の活動を調整するため、白ロシア共産党中央委員会首脳部と白ロシア閣僚会議の合同委員会が設置された。メンバーは、党中央委員会の書記1名と閣僚会議から3名、さらに関係省庁、各地区の執行委員会の代表者たちである。
 事故後、1986年5月5日までにチェルノブイリ原発から半径30キロメートル以内にある50ヵ所の居住区から1万1,000人の住民が避難した。その後、放射能汚染の状況が明らかになるにつれて、1986年6月中に28の村から6,000人、1986年8月から9月にかて29の村から7,300人の住民が避難した。このようにして事故後一年間に107の居住区や村から2万4,700人が避難した。このうちの1万6,000人は、1986年12月にブラーギン(Брагин)市にある12の居住区に戻っている。
 避難を強制されたすべての人にはすぐにプレハブ住宅が供給され、働ける人には仕事が与えられた。
 ゴメリ(Гомель)市の《汚染のない》場所に、新しく170ヵ所の農場が造られた。また庭のある家の庭の中には9,770戸のプレハブ注宅が

----- p.2 -----

建設された。
 1986年5月中ごろ、ゴメリ市の11の地区とモギリョフ(Могилёв)市の6つの地区で、セシウム137が1平方キロメートルあたり15キュリー【1平方メートル当り55万5,000ベクレル】以上という汚染が発見された。これらの汚染地域には415の居住区があり、10万人以上の人々が住んでいた。
 これらの汚染地域では全ての住宅・建物に対して、人々が正常な生活をとりもどすために必要な放射能除去作業がおこなわれており、また土地改良などの農地改良も進められている。
 毎年14万人以上の子供・児童・妊婦が健康を維持するために保養所・キャンプ地などに出かけているが、それにかかる費用は年間およそ3千万ルーブル【1989年現在、約61億5,000万円】である。また、放射能に汚染された地域に住む末々のためにきれいな食料品が汚染地域に運ばれている。
 白ロシア共和国内におけるチェルノブイリ原発事故の処理については、特別な機関がつくられ、その機関に白ロシア共和国科学アカデミーが科学的な保証を与ることになっている。またその機開内に新しく放射線生物学研究所が設立された。白ロシア保健省は病院を併設した放射線医学研究所を設立し、この研究所のためにアクサコフシチーニェ(Аксаковщйне)にある施設を提供した。ゴメリ市にはソ連農業放射線研究所の白ロシア支部が開設され、白ロシア共和国の国家農工委員会に所属する10ヵ所の研究所全てに放射能管理部がつくられた。
 放射能除去作業や住民の健康管理の実施により、住民の放射線による健康故事は現在のところ認められていない。また原発事故の後に住民が受けた被曝量の合計は基準値を超えていない。
 しかし放射能に汚染された地域の状況は、白ロシア政府や行政機関だけでなく、今日でも連邦政府の援助が必要であることを示している。最近、共和国

----- p.3 -----

の指導者たちは、ゴルバチョフ(Горбачёв)書記長とルイシコフ(Рыжков)首相に次のような手紙を出した。「私たちは、ソ連共産党中央委員会が私たちの問題に対して常に留意し、中央政治局が白ロシアの政策を肯定的に評価し、白ロシア共和国の国民に対して配慮を示してくれていることに心から感謝しています。」 そしてこの配慮は白ロシア共和国に対する連邦政府の政策に反映されている。
 今年度だけで事故処理対策費として2億,300万ルーブル【1989年当事、約498億円】の国家資金と資材設備が割り当てられている。原発事故以来4年間【過去3年間と1989年度】におけるこれらの資金の総計は約11億5,000万ルーブル【1989年当事、約2,360億円】に達する。また今年度ソ連の他の地域からモギリョフ市とゴメリ市に、プレハブ型住宅11万平方メートル、パイプ・ガソリン・電線その他の資財が追加して納入される予定であるが、現在のところソ連国家農工委員会の生産量が不十分である。これは避難を強制された地域に放置された設備などの見返りとして、畜産施設あるいはその他の生産施設をつくるために必要な資金の支出に関係する問題であるから、これら資材の増産を特に強化する必要がある。
 最近ソ連では、人間がその生涯に受ける可能性のある放射線量の許容値が35レム 【350ミリ・シーベルト】までと決められたが、その許容限度が保証されない居住区に住んでいる人々の新たな避難もかなり大きな仕事になる見込みである。ついでながらこの線量は国際基準値に沿ったものである。今になって住民を避難させることが、これまでの活動や政策の失敗・欠陥によるものではないということは強調しておきたい。繰り返すが、過去3年間には年ごとに定められた被曝許容量を超えたことはなかったのである。閣議は、この国で初めて定められた生涯線量を超えないようにすることである。これについては次のようなことも考慮にいれておくことが必要である。それは、汚染地域にあ

----- p.4 -----

る小さな村の老朽家屋にすむ人々がきれいな地域に建てられた新しい家に移り住むごとになった場合は、転居にかかる費用が老朽家屋を手直しするのに要する費用よりも大幅に安上がりでなければならないということである。

----- p.5 -----

住民の健康は守られているのか?

専門家の意見:
V.N.ブリャク(В.Н.Бурьяк)
白ロシア保健次官・白ロシア国家衛生医師長

 最初に数学を示す。白ロシアに住む52万人以上の人がいろいろなレベルの被曝を受けた。事態は容易ならざるものであったため、全ての医療関係者の力を結集し、作業を調整し、住民の健康を守るための優先順位を決定する必要があった。現在これらの作業は、実施順に次の三段階に分けることができる。
 第一段階 ―― 緊急対策の段階。 外部被曝および子供の場合には甲状腺被曝による予測線量限界で決定される。被曝の安全限界を超す可能性があるので、事故後まもなく住民の避難と、甲状腺被曝を予防するために子供に対するヨード剤の服用が決定された。
 第二段階 ―― 生活条件の制限と管理の段階。 これは10万人以上の人が住んでいる多くの居住区にとっては今なお切実な問題である。住民生活の安全を判断する基準は次の二つの数値である。それは、放射性核種により汚染された土壌の汚染濃度とそこに住む人の年間被曝線量である。白ロシア共和国で汚染が一番広がっているセシウム137について言えば1平方キロメートル当り15キュリー【1平方メートル当り55万5,000ベクレル】、被曝線量にすると、事故後1年目が10レム【100ミリ・シーベルト】、2年目が3レム【30ミリ・シーベルト】、3年目および4年目については2.5レム【25ミリ・シーベルト】である。
 全ての関係者が初期の時点から事故処理に尽力した効果は大きかった。避

----- p.6 -----

難させられた住民のうち誰一人として75レム【750ミリ・シーベルト】という限界線量を超えて被曝した者はいなかった。甲状腺被曝線量も予測されたものよりも低く、5〜20分の1の値であった。1986年〜1988年の間の管理区域の住民の被曝線量の合計は9レム【90ミリ・シーベルト】であり、その他の地域では3.3レム【33ミリ・シーベルト】であった。但し、この場合の許容量は15.5レム【155ミリ・シーベルト】であるが、この限界値を超えた人も若干いた。内訳はモギリョフ市38人、ゴメリ市10人で、全てが年金生活者あるいは老人であった。彼らは自作の食物を取らないようにという勧告に従わず、定められた衛生基準を守らなかった。
 全体からみれば、我々は住民を放射能の危険から守ったと考えている。このことについては、多くの外国の学者が参加してキエフで開かれた学会でも発表している。昨年の秋、放射性核種で汚染された地域で住民を安心して住まわせるための《概念》が検討され、決定された。この《概念》は、一生の間の線量限界という考えに基づくもので、およそ70年の間に35レム【350ミリ・シーベルト】とされている。この数値には原発事故によって浴びる線量も含まれている。この《概念》によって、普通の生活に復帰したり、その地域で生産される食物を利用したり、生活条件に対する制限を外したりすることができる。
 この《概念》に従い、原発事故により放射能状況が著しく変化した居住区の70年間にわたる線量の予測をおこなった。この予測値が眼界値【70年間に350ミリ・シーベルト】を超える可能性のある地域に対しては除染活動および農地改良の対策が決定される。この対策が所定の効果をあげない場合は住民を安全な場所に避難させることが必要となる。まさにこの理由により、今後2年間におよそ20ヵ所の居住区の住民の避難が計画されている。その地域には現在およそ3,000人が住んでいる。さらに今年中に数十ヵ所の村について調査を行うことになっている。この調査結果により具体的な決定が下されることになっている。

----- p.7 -----

その他の放射能に汚染された村については、生涯被曝予測線量が35レム【350ミリ・シーベルト】以下になるため全ての制限を外すことができる。
 次に、白口シア共和国の住民が現在最も心配している住民の健康状態と病気の増加の可能性についてすこし詳しい説明をしたい。我々は国際放射線防護委員会の勧告に基づき、晩発性効果、遺伝的効果あるいはガン発生に関する計算をおこなった。その計算によれば、たとえば、チェルノブイリ原発事故によって増加するガンの数は現在の発ガン水準の0.5パーセントを超えないことが示された。現在白ロシア共和国で自然発生するガンの増加率は年間3〜5パーセントである。このような割合でガンが増加しているため、直感的には勿論のこと統計的手法を使ってもこの0.5パーセント以下というガンの増加を見いだすのはむずかしいと考えられる。遺伝的な危険性についても同じような予測がなされている。もちろんその危険性は存在するが、その値はおそらく検出できないのではないだろうか。
 ゴメリ市およびモギリョフ市の住民の健康状態についてもふれておきたい。両市における昨年の病気の内訳はほとんど変わっていない。過去3年間における子供の死亡率は明らかに低下する傾向を示している。この傾向は汚染地域についても同様であり、また悪性腫瘍の増加もこれまでの水準と変わっていない。
 現在、汚染地域へ十分な数の医療関係者が派遣されつつある。1987年には、この地域へ600人以上の医師と1,687人の看護婦が派遣された。今年は、さらに2,000人以上の新卒の医師および看護婦が派遣される。ゴメリ市とモギリョフ市の学校を卒業した生徒を優先的に入学させるため医大および医専の受入枠が広げられた。さらに、両市の学校では看護婦、歯科技工士、歯科医師などの養成コースが開設された。
 しかしながら、これらの地域では医師が今なお不足している。残念なことに、医薬品、医療機器 医療器具も十分ではない 白ロシア共和国に割り当て

----- p.8 -----

られる医療関係の資金は今の所明らかに足りない。

―――――――――――

質問: 放射能汚染地帯から多くの医療関係者が引き上げた。これは、本当の事情をよく知っている専門家が自分の健康を危険にさらしたくないという考えを示す行為ではないか!
答弁; 医師はいろいろな事情をよく知っている。それでも多くの医師は何のためらいもなく汚染地帯へ出かけて行った。今年のはじめには、クラスノボーリ(Краснополь)およびベトコフ(Ветков)地区を除く全ての地区で医師が以前と同じ数に戻っている。1986年には《放射能から》逃げた数人の医師も現在元の病院に復帰しつつある。

質問: ホイニキ(Хойники)地区では病人の数が激増している。地元の病院は収容能力を5倍に増やしたがそれでも足りない状態にある。これはどのような理由か!
答弁: 急性の呼吸器疾患はホイニキ地区だけで増えているわけではない。昨年白ロシア共和国ではインフルエンザが流行したということを考慮しなければならない。それまでのおよそ4年の間、インフルエンザはそれほど流行しなかった。いくらかうがった見方ではあるが、病気の増加は医療体制が改善されたことによるものである。予防健診の初期にはいつも患者の数が増加する。従ってこれは放射能とは全く関係がない。問題は別の所にある。つまり、これまで一度も医者にかかったことのない多くの慢性病の患者が検診の対象になったということである。医療体制がよくなると統計上の患者の数は増える。汚染地域から他の地域へ移された子供にも急性の呼吸器疾患の例がある。この場合も

----- p.9 -----

放射能が原因とはいえないと思う。子供は環境が変化すると病気になりやすい。人間の身体は新しい環境に慣れるまでには一定の期間が経過しなければならない。
 しかし、だからといって全く心配がないということは言えない。最近の研究者の調査では、住民の一部に異常が確認されている。幸いなことに、病気を引き起こす程ひどい異常ではない。白ロシア共和国では、小児血液学、内分泌学といった分野での調査は今でも続いており、これらの医療部門が充実されつつある。
 繰り返すが、原発事故によって病気が突然増えたといったことはなかったし、現在もない。公式のデ…タでいえば、1988年の一次的労働不能者【失業者】は8パーセント近く増えた。しかしこれは、インフルエンザの流行と子供の看病のための休みが増えたことによるものと考えられる。

質問: 汚染地区の託児所 幼稚園では今まで骨入りブイヨンのスープをつくってきたが、だいじょうぶだろうか!
答弁: 私たちはこれについて詳しく調べた。ブイヨンを煮るときに、骨の中に含まれているストロンチウム90の数100分の1パーセントがブイヨンへ移ることがわかった。しかし、健康には何ら害はない。

質問: 子供に野菜を食べさせないようにという最近の禁止措置はどういうわけか!
答弁: これは放射能に関係したものばかりではない。最も汚染のひどい土地でも、野菜は汚染しないで成長していることが確認されている。昨年秋、幼稚園の子供たちに野菜を与えないようにという指導はその当時発生していた伝染病に感染しないためのものである。

----- p.10 -----

質問: 食料品の放射能汚染の許容値については、ソ連の基準値だけが発表されていて、外国の基準値が知らされていないのはどうしてか!
答弁: ソ連の基準値のほとんどは外国、国際原子力委員会、国連科学委員会で採用されている値を超えてはいない。

質問: いったいいつになれば、白ロシア共和国の住民は必要なときに個人の線量計を手に入れることができるのか!
答弁: 個人用の線量計は医学的な見地から必要とされているだけでなく、住民の不安を一掃し、安心させるための一つの手段として心理学的な見地からも必要である。住民が高い線量を受ける危険性のある地域においては、個人の線量測定が医療機関により常時行われている。森林、畜産関係の作業員、機械取扱者の多くが個人用線量計を持っいる。そして、定期的に正確な装置のある放射線研究所で検査を受けている。もし自分の健康状態を検査したいという人は、クラスノアルメイスク(Красноармейск)通り15番地 放射線医学研究所、で検診を受けることができる。

質問: チェルノブイリに関係した医療活動のために白ロシア共和国政府が直接支出した金額はいくらか!
答弁: 保健省は医療関係者の賃上げ資金として約500万ルーブル【1989年当事、約10億2,500万円】の追加配当を受けた。現在、我々は労賃に関して何の制限も受けていない。専門家が汚染地域へ出かけるときには、我々はそのための手当を支払う用意がある。医療設備購入には約500万ルーブル【1989年当事、約10億2,500万円】が使われた。このほか、外貨で約700万ルーブル【1989年当事、約14億3,500万円】が我々に援助された。また、およそ1億5,200万ルー

----- p.11 -----

ブル【1989年当事、約11億6,000万円】が建設や資財の購入に当てられた。残念ながら援助された全ての予算が建設部門で消化されたわけではなく、未完成な建物も多い。

質問: 1986年、ミンスク(Минск)ではどうしてメーデーのパレードが禁止されなかったのか!
答弁: チェルノブイリ原発事故の後、ミンスクでの放射線レベルがいくらか変化したことは確かであるが、それでも自然放射線のレベルに比べて何ら危険なものではなかった。だから、パレードを中止する必要はなかった。また、1986年5月1日のパレード参加者が放射能雨にあたったといううわさは全くでたらめである。我々は気象関係者に問い合わせて、当日ミンスクでは雨が降らなかったことを確認している。たとえ雨が降ったとしても、事故直後の雨の中の放射能レベルはわずかに上昇した程度で市民の健康に害を及ぼす程のものではなかった。

―――――――――――

----- p.12 -----

放射能はなぜ弱まったのか?

専門家の意見:
Y.M.ポクメイコ(Ю.М. Покумеико)
白ロシア共和国気象局長

 事故以前は、白ロシア共和国の全ての気象台で週に1回同時期に放射能レベルの測定がおこなわれていた。5月上旬には放射能環境管理センターと研究室によるチームが組織された。チームは大気、土壌、水、水底の堆積物を定期的に採取し、さらに飛行機とヘリコプターを使って各地のガンマ線の測定をおこなった。チェルノブイリ原発から30キロメートル以内ではテレメータ方式の自動計測システムが設置され、ガンマ線のレベル、気温、雨量、風などに関する情報が得られた。
 1986年9月までに主要な汚染地域の調査がさらに詳しくおこなわれ、汚染の境界を地図上に示すことが可能となった。その汚染地図はしみがぽつぽつとあるような状態に描かれた。2ヵ所の主な《しみ》がはっきりと定められた。南ではゴメリ市の南部、北ではゴメリ市の北部とモギリョフ市の南部である。前者のしみは、短寿命の放射性核種であるヨウ素131の降下によって事故直後のガンマ線レベルが高いことが特徴であった。さらにそこではセシウム137が検出され、30キロメートル《ゾーン》の境界ではストロンチウム90とプルトニウム239、240が検出された。放射能に強く汚染された居住区からは住民が避難させられ、その他の居住区は常時監視地域に入れられた。
 後者のしみは、雨と共に主として放射性核種のセシウム137が降下してつくられたものである。ここではガンマ線レベルが危険な値に達しなかったた

----- p.13 -----

め、住民を緊急避難させる必要はなかった。しかし、多くの居住区が常時監視地域のなかにある。
 その後さらに状況の把鍵が続けられた。2,000ヵ所以上の居住区が詳しく調査され、その結果白ロシア共和国全土についての放射能汚染地図が作成された。但し、全てのデータが揃うまではこの汚染地図を公表することができなかった。結局、白ロシア共和国のおよそ18%の国土が放射能によって汚染されたことになる。
 現時点では、短寿命の放射性核種の崩壊と放射能除去作業の結果、ガンマ線の強度は著しく低下している。しかし放射性核種は地中へゆっくりとした速さで移動している。最初の数年間、その80〜90%は表層5センチメートルまでの深さに残留しているが、我々の試算では、10年後には放射性核種は10〜20センチメートルの深さにまで移動していく可能性がある。放射能に関するデータは関係機関に報告してある。

―――――――――――

A.L.グリシャーギン(А.Л. Глишагин)
白ロシア共和国民間防衛隊本部長

 事故以前、我々はよく町から村への避難訓練をおこなっていた。現実には村から避難しなければならないことになった。このような事態に対して、行政および民間防衛隊の支部はほとんど無防備であった。それでも事故直後の混乱が過ぎ去って5月にはいると放射能対策が始まった。1986年には、ゴメリ市の246ヵ所とモギリョフ市の20ヵ所の居住区が除染された。その次の2年間には432ヵ所の居住区が除染された。民間防衛隊のほか10以上の省庁の

----- p.14 -----

関係者が除染と村の復旧の作業に当たった。彼らの全ての業績を数え上げることはとてもできないが、一つだけはっきり言えることがある。それは、一連の放射能除去作業の結果 ガンマ線のバックグラウンドは2分の1〜3分の1に低下し、セシウム137による汚染濃度は数分の1に低下したということである。

―――――――――――

質問: 放射能の監視は現在どのようにおこなわれているのか!
答弁: 白ロシア共和国全土にわたって機能している「放射線監視網」が一日ごとの放射能レベルを記録している。このほか、我々は年に2回、総合調査をおこない放射性核種による土壌の汚染濃度を測定している。当初我々は放射線検出器の不足や不調で苦労したが、現在では中央および各地域の研究室に微量な放射能変動でも感知できる最新式の検出器が取り付けられている。

質問: プラ…ギンとナロープリヤ(Наровля)にはなぜ自動車やその他の機器類専用の特殊処理場【除染場】が完備していないのか!
答弁: 当初、他の市や地区からの車やその他の機器類が多数動員されて事故処理にあたっていた時にはこのような処理場を作ることになっていた。しかし現在この地域には、主としてこの地域のコルホーズ・ソホーズ、その他の組織の車や道具が使用されているだけである。このため、常時監視地域において自動車やその他の機器の保管場所ごとに除染場所を作ることが決められた。未完成の建物は自動車の除染、修理場所として使用されるはずである。

質問: 多くの民間防衛隊の支部には線量計が配備されていたが、なぜか

----- p.15 -----

事故直後にそれらがすべて回収された。これはどうしてか!
答弁: それは被曝線量のデータを隠すためにおこなわれたのではない。1時間あたり2レントゲン【約20ミリ・シーベルト】以上の強さの放射線下で使用される軍事用の線量計が回収されたのである。我々が使う線量計は、1レントゲン【約10ミリ・シーベルト】の数10分の1あるいは数100分の1を測定するためのものである。つまり軍事用とは別のはるかに《敏感な》計器が必要だった。ちなみに、このような線量計はいまならどの関係機関にもあり、そしてその目盛りは正しく校正されている。

意見: 我々は放射能に対してあまりにも無防備であったと思う。民間防衛隊の訓練方法や内容を変更し、もっと実践的なものにするべきだろう。それによって、初めて日頃の訓練が効果を発揮することになるのではないだろうか。

質問: 30キロメートル以内の《鉄条網》の向こうにどれくらいの人が住んでいるのか!
答弁: ブラーギン地区のソーボリ(Соболи)村には104人、サピッチ(Савич)村には78人、クラースノイ・ゴーレ(Красной Горе)村には18人が住んでいる。いずれも勝手に住んでいる人々である。ただ、これらの村は《鉄条網》の向こう側ではなく、《鉄条網》の手前であり、チェルノブイリ原発から数10キロメートルの距離にある。つまり《無人地域》には誰も住んではいない。

質問: 今年は民間防衛隊はどんな仕事をするのか!
答弁: 常時監視地域にある415の居住区の除染作業をさらにおこなう。

質問; 放射能汚染地域の指定が拡大されるおそれはあるのか!
答弁: (V. エフトゥフの答弁) 基本的にはない。しかしたとえば風

----- p.16 -----

によって放射性核種が移動することが考えられる。従って、我々は白コシア共和国金土にわたる放射能状況を十分把握するために高価な「放射線監視網」を設置した。そして必要な場合にはそれに対応する対策が取れるようになっている。

―――――――――――

----- p.17 -----

(1989)チェルノブイリ原発事故から1000日(その2)
http://kohno.at.webry.info/201202/article_10.html

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(1989)チェルノブイリ原発事故から1000日(その1) kohnoのブログ/BIGLOBEウェブリブログ
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