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zoom RSS (1989)チェルノブイリ/その過去と今後の展望

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チェルノブイリ
その過去と今後の展望


Y.イズラエリ(Ю.ИЗРАЭЛЬ)


イワンとミーシャの会 訳編



画像

(1989年5月)

(会のシンボルはスタジオ・クレイの水戸さんのデザイン)

----- 表紙 -----

 ここに記載されている内容は、ソ連共産党機関紙《プラウダ(ПРАВДА)》に1989年3月20日付けで掲載された記事の概要である。
 この記事を読むと、事実であるだけに、原発事故のすさまじさを思い知らされる。ソ連は、汚染地域に人を住まわせるために「生涯線量」という《概念》を持ち出してきた。これは、国際放射線防護委員会の勧告による、いわゆる「一般大衆の年間許容線量」である年間500ミリ・レム【5ミリ・シーベルト】に人の寿命70年を掛けたものがベースになっていて、その値の35レム【350ミリ・シーベルト】までの放射線は一生の間に浴びてもなんら問題にはないという恐ろしい《概念》である。この《概念》によって放射能に汚染された土地に住み、食物を栽培することができるなどと本末転倒の結論を導きだしている。逆に考えると、このような《概念》を持ち出さなければならないほど、あの広大なソ連の大地(住宅地や農地)が放射能に汚染されてしまったことを意味している。
 この記事の結論については述べる必要もないだろう。ただ、1989年2月9日付のソピェツカヤ・ベロルシア紙の記事、
「チェルノブイリ原発事故から1000日」に対抗して慌てて掲載した感はぬぐえない。

001「チェルノブイリ原発事故から1000日」
http://kohno.at.webry.info/201202/article_9.html (その1)
http://kohno.at.webry.info/201202/article_10.html (その2)
002「チェルノブイリ/その過去と今後の展望」
http://kohno.at.webry.info/201202/article_13.html
003「チェルノブイリ・ノート」より
http://kohno.at.webry.info/201202/article_34.html (その1)
http://kohno.at.webry.info/201202/article_35.html (その2)
004「チェルノブイリのこだま」
http://kohno.at.webry.info/201202/article_42.html
005「チェルノブイリの後遺症は続く」
http://kohno.at.webry.info/201205/article_1.html (その1)
http://kohno.at.webry.info/201205/article_2.html (その2)
006「特別な注意を要する地域」
http://kohno.at.webry.info/201206/article_14.html (その1)
http://kohno.at.webry.info/201206/article_15.html (その2)
007「放射能ゾーンの子供たち」
http://kohno.at.webry.info/201209/article_2.html

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チェルノブイリ
その過去と今後の展望

目次

チェルノブイリ/その過去と今後の展望 ・・・・・ 1
水の汚染               ・・・・・ 8
土壌の汚染              ・・・・・11
汚染地図               ・・・・・12
おわりに               ・・・・・19

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チェルノブイリ
その過去と今後の展望

国家気象環境監視委員会議長
Y.イズラエリ(Ю.ИЗРАЭЛЬ)

 チェルノブイリ原発事故からおよそ3年の歳月が過ぎ去ろうとしている。しかし、広大な範囲におよぶ自然環境の放射能汚染が、技術的にも、社会的にも緊急の課題となっている。残念ながら、このような状態はさらに長期にわたって続くものと思われる。そこで、この汚染地域に住んでいる数千の数万の人の命と生活に関する提言を簡単に述べてみよう。

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 周知の通り、チェルノブイリ原発事故発生の直後に、緊急に大気や土地の放射能汚染状況が定量的に測定された。引続き、植物など自然環境のさまざまなものに含まれる放射能に関する総合調査がおこなわれた。
 そして、化学チームによって非常に要領よく、チェルノブイリ原発とそれに隣接する地域の放射線の状況が測定された。国家気象環境監視委員会は多数の測候所と航空概材を駆使して、実にソ連全域にわたる広範な地域で放射能の測定をおこなった。これにより、汚染の《基本ゾーン》以外に.かなりの数の《放射能のしみ》が追加して測定された。
 国家気象環境監視委員会には、すでに1986年5月2日、すなわち流出

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し続ける放射性ガスによる空気中の放射能の流れと、地上汚染の効果とをはっきり分けることができるようになった時点で、政府委員会に対し最初に事故現場近く(現場から100キロメートル以内)の汚染地図を提出した。4月26日からそれまでの間の放射線の等高線に関するデータは、飛行機やヘリコプターの高度(2,000〜3,000メートル)で測定したものや地上で測定したものである。
 最初の数日間(7〜10日間)は、風向きが360度変化しており、実際風向きは全方向を記録している。これは、放射能が非常に広範囲に拡散したということである。放射能の雲がやってきた時に雨の降った所では、放射能に汚染された《しみ》ができた。
 事故の際、一瞬にして放射性物質が放出され 西に拡散した。そしてこれがウクライナ共和国内に高濃度に汚染された細い帯状の地帯を形成した。その後、26・27日には、原子炉からの放射性物質の流れは、白ロシア共和国沿いに北西方向に変わった。28・29日には北東から東へ、そして、29日の終わり(題所によっては29日の初め)から30日には、南東から南へと変化した。
 事故現場からの放射性物質の流出は、事故後2〜3日、北西および北東方向が最大であった。27日の放射能の雲の高度は、飛行機からの観測によれば、1,200メートルを超えていた。
 近隣地域への放射性物質の降下は、事故後4〜5日でほとんど終わった。しかし、放射能に汚染された《跡》や《しみ》の形成は、5月いっぱい続いた。
 定瑚的におこなわれるガンマ線の測定結果が、党中央委員会政治局委員会や政府委員会の出す対策の基礎となる情報であった。
 数日後に、汚染地域での大がかりなガンマ線スペクトル測定用と放射化学関係の土壌サンプルの採取がおこなわれ、いろいろな研究所での分析が開始さ

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れた。それにより土地の放射能汚染地図が作成された。
 この膨大な作業には、国家気象環境監視委員会、保健省 連邦科学アカデミー、ウクライナ共和国科学アカデミー、白ロシア共和国科学アカデミー、国防省、国家原子力利用委員会、原子力省、国家農工委員会が関係した。大気中のガンマ線測定には、ベルナツキー地球化学・分析化学研究所並びに極地地球物理観測所が携わった。
 現在 測定したサンプル数は10万を超えた(個々のサンプルについて測定をおこなうので、作業には膨大な時間を要する)。
 できあがった資料は、重要な作業上のあるいは科学上の問題を解決していく上で役立った。また、住民の避難 汚染地域で生活を続けていけるかどうかを決定する根拠となったし、防護対策や、除染対策をたてる条件を設定する根拠ともなった。
 高度の汚染と、事故炉からの放射能をまき散らす風の向きが頻繁に変化するため、発電所から30キロメートル以内に住む住民の避難が決定された。
 1986年5月10日までの多くの測定データを総合して作成されたガンマ線照射線量率の地図(その測定に際しては空気等価レントゲン線量計【電離箱サーベイ・メーター】を使用)は、多くの決定を下すにあたっての根拠となった。特にこの地図によって最終的に、住民避難(毎時5ミリ・レントゲン【毎時50マイクロ・シーベルト】以上)、土地収用(毎時20ミリ・レントゲン【毎時200マイクロ・シーベルト】以上)、監視区域(毎時3〜5ミリ・レントゲン【毎時30〜50マイクロ・シーベルト】)の線引きがおこなわれた。監視区域では妊婦や子供など一部住民の一時的避難がおこなわれた。
 放射性物質の降下は、ソ連の西ヨーロッパ地方の多くの地域でみられた。国家気象環境監視委員会の測候所では、1986年5月2日にヨウ素131の降下や大気汚染を次の各地で親潮した。ウクライナ共和国ではキエフ、ピンニツァ、イワノ・フランコフスク、ロブノで、白ロシア共和国では、ミンスク、

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プレスト、モギリョフで、バルト海沿岸では、クライペダ、リガ、その他多くの町や居住区などである。ほとんどの場合、この種の汚染は短期のものであり、大気の移動と関係していた(したがって遠くに住む住民に危険はなかった)。
 ヨウ素131は半減期が8日であり、特に近郊地域では、牛乳を飲むと甲状腺にとっては危険な状況であったといえる。このため、牛乳にヨウ素が含まれているかどうかの非常にきびしい検査が必要であった。
 雨と共にかなりの量の放射能が、オーストリア、西ドイツ、イタリア、ノルウェー、スウェーデン、ポーランド、ルーマニア、フィンランド等の外国にも降下した。最も汚染のひどかった場所でセシウム137は1平方キロメートル当り約1キュリー【1平方メートル当り3万7,000ベクレル】であった。
 すでに述べてきたように、ソ連のヨーロッパ地方での放射線測定により、非常に高い数値の放射線が記録された《基本ゾーン》以外に汚染地域の存在が明らかになった。それらは、《基本ゾーン》の北東(モギリョフ、ゴメリ、ブリャンスク各州の境、オリョール市の南、トゥーラ市の南)、そして後にはフィンランド南岸、コラ半島、コーカサス等であった。1時間当り0.2ミリ・レントゲン【2マイクロ・シーベルト】に汚染された土地は、事故後何日かの間は、全部で約20万平方キロメートルであった。
 1986年6月には、事故現場から遠くの地方の土壌サンプルの放射能測定がおこなわれた。そして6月10日〜15日には、それら土壌サンプルはセシウム137やセシウム134という長寿命の放射性核種を大量に含んでいることが判った。これら放射性核種による放射能はサンプル中の全放射性核種による放射能の50%に達した。
 言っておくが、1986年5月にはすでに土壌の汚染密度の暫定基準値が決まっていた。すなわち、セシウム137は1平方キロメートル当り7キュリー【1平方メートル当り25万9,000ベクレル】(後に15キュリー【1平方メートル当り55万5,000ベクレル相当】

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)、ストロンチウム90は3.0キュリー【1平方メートル当り11万1,000ベクレル相当】、プルトニウム239、240は0.1キュリー【1平方メートル当り3万7,000ベクレル相当】となっていた。
 ソ連保健省の専門家たちは、ホール・ボディー・カウンターを使って体内でのセシウム137の蓄積量を測定し、個々の人間が受けた線量を算定した。セシウム137は目下のところ最も拡散している放射性核種である。
 事故後最初の1年間およびそれ以降の各年ごとの、各居住区に住む人の外部および内部被曝の実効線量当量が決定された。
 1988年秋までに多くの住民が受けた内部および外部被曝線量は、平均5.3レム【35ミリ・シーベルト】であった(ソ連保健省の資料による)。住民の中に放射線症にかかっている人はみつかっていない。
 大規模な除染作業と農地改良事業を行なうことの一環として、セシウム元素を固定する(それにより、食物連鎖による動きを遅らせる)特殊な物質を放射能に汚染した土地に導入し、その結果として放射線の状況が安定した。汚染の主要な成分としては、しだいに長寿命の放射性核種―――半減期およそ30年のセシウム137とストロンチウム90、それに接収地域に存在する半減期の非常に長いプルトニウム―――が残った。
 セシウム137(セシウム134を含む)に汚染された地域のうち、きびしい監視を必要とする場所で、長期間の作業と生活をするための手引書を作成する必要が生じた。まさにこの手引書が、避難地域の境界の外においても、放射性核種の基本的な危険性を理解するためのものである。しかし住民を緊急に避難させるという決定がなされたために、話はもはや急を要する問題ではなくなった。そして、住民の受ける放射線は生涯にわたって非常にゆっくりと、均一的であるために、生涯線量【一生の間に受ける放射線の量】は危険がない程度に小さい。

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 このことに関連して、ソ連保健省は、1988年11月に事故後の居住区における生涯照射線量限度を35レム【350ミリ・シーベルト】に設定した。
 1986年から1989年の間に生まれた子供(あるいは、幼児期にこの地域へ引っ越してきた人)が70〜75歳までこの場所で生活するとすれば、計算上はなんらかの影響があるが、これはあくまでも計算上であることを強調する必要がある。
 そこに住み続けると、汚染された土壌に含まれる放射能と、配給される食料品に含まれる放射能によって一定の線量の照射を(体の外および内側から)受ける。そしてこの線量は放射性核種の種類、汚染された土地の放射能の強さと土地改良対策の進み具合いによって自動的に決まる。
 たとえば、セシウム137の汚染濃度が1平方キロメートル当り15キュリー【1平方メートル当り55万5,000ベクレル】以下であるような場合は、どこに住んでも内部及び外部被曝線量の基準は保証される。それに、牛乳に含まれるセシウム137の基準(1リットル当り10E−8キュリー【370ベクレル】)は、この許可基準【一生の間に350ミリ・シーベルト】になるまでには十分余裕がある(なんと素晴らしいことだろうか?!)。しかし、セシウムによる土地の汚染が1平方キロメートル当り15キュリー【1平方メートル当り55万5,000ベクレル】より低い地域においても基準《より悪い》牛乳が見つかるという事実を違った側面から解釈するため誤解が生ずる。
 もし一生涯の基本的量である35レントゲン【約350ミリ・シーベルト】〔訳注〕を基に考えるならば、セシウム137による表面汚染が1平方キロメートル当り15キュリー【1平方メートル当り55万5,000ベクレル】

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〔訳注〕単位はレムだと思われるが、原文ではレントゲン〈рентгэн〉となっている。

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積極的な除染と農地改良対策(他に食料品による内部被曝線量を4分の1に下げる)を実行することによって、セシウム137による土地の汚染が1平方キロメートル当り40キュリー【1平方メートル当り148万ベクレル】までの地域では一生涯で受ける線量が35レントゲン【約350ミリ・シーベルト】〔訳注〕(これはほとんど地面からの影響である)以下に抑えられる。これらの場所では、地球物理学と医学によるきびしい監視が必要であり、さらに、汚染のない食料品を他から選んでくる必要がある。さらに、1平方キロメートル当り40キュリー【1平方メートル当り148万ベクレル】を超える(これらは点々と存在する)ような特にすさまじい放射能レベルの地域から人々を強制的に避難させるという可能性を排除してはいない。たとえば、白ロシア共和国の同じような条件下のところに3千人もの人が住んでいた。この場所では、生きてゆくために汚染のない(他所から搬入された)食料品―――特に牛乳と肉―――を長期にわたって確保する必要がある。ただし、事故当時の線量に加え今後その地域に住んだとしても一生涯で受ける線量が35レントゲン【約350ミリ・シーベルト】〔訳注〕という基準は超えない。
 ジトミールとプレスト(それに他のもう1ヵ所)では、人々が道路ぞいに歩くことができたし、汚染のない食料と追加された給料をもらって、ここに住むことを約束していた(この地域の汚染は1平方キロメートル当り15キュリー【1平方メートル当り55万5,000ベクレル】よりも高い)。それに、示された規則を個人個人が遵守しさえすれば(ほとんどの人は)許容基準を超えるような線量を受けることはなかった。《Советская Белоруссия:ソビエツカヤ・ベロルシア》の新聞記事によると、わずか48人(全住民の0.1%以下)が基準より高い線量を受けていた。

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〔訳注〕単位はレムだと思われるが、原文ではレントゲン〈рентгэн〉となっている。

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水の汚染

 チェルノブイリ原発事故によって、放射性物質が水面に降り注ぎ、水道施設を汚染した。そして今でも、放射能に汚染された土地からの水の流入や地下水の移動によって、汚染は続いている。
 事故直後の最初の1週間と最初の1ヵ月で最も重要なことは、キエフ市が水源として使用しているプリピャチ川とキエフにある人工貯水池の汚染の程度を明らかにすることであった。
 放射性物質が降下していた時期には、プリピャチ川の水の汚染が短期間ではあるが、基準値を超えたことが認められた。事故から2ヶ月後、キエフの人工貯水池の水に含まれる全ベータ放射能は1リットル当り1〜6x10E-9キュリー【37〜222ベクレル】であり、この値は許容基準(1リットル当り10E-8キュリー【370ベクレル】)以内であった。
 国家水質・環境管理委員会は4機の飛行機をチャーターして放射能を降らせる雨雲の量の測定を行った。また、6月の中ごろまでに多数の人を避難させる活動を行った。しかしその時点で委員会は、放射能のしみにまでは考えが及んでいなかった。
 ドニエプル川にある全人工貯水池の放射能の量は、川の水が流れることにより、下流へいくほど単調に下がっているが、グレメンチェグ【ウクライナ共和国ポルタパ州にあるドニエプル川の港湾都市】の人工貯水池にはストロンチウム90が集中し、およそ1リットル当り5x10E-12キュリー【0.185ベクレル】になっていた。しかし、その値が測定されるのはまれである(実際は100回の測定のうち1回である)。
 1986年5月中ごろ、ドニエプル川流域にある人工貯水池の底に溜った泥の汚染の様子が示され、プリピャチ川の河口にあるキエフ市の人工貯水池の

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底の泥の汚染が最も強いことが明らかになった。現在では、キエフの人工貯水池の南の一部の汚染は10分の1に、また、カネブの人工貯水池の汚染は100分の1に減少している。
 放射能で汚染された地方の川はロシア共和国と白ロシア共和国政府によってたえず監視されており、セシウム137に汚染しているという《汚点》のある川の上水場は特に監視されている。事故後の最初の春の出水期(1987年4月7日〜12日)に、イプチ川とベセド川で全ベータ放射能が1リットル当り1〜1.5x10E-10キュリー【3.7〜5.6ベクレル】にもなる最大レベルの水の汚染が見られた。
 きわめて低いレベルの汚染魚、特にスズキ、が見つかった。

 プリピャチ川の放射能汚染を防止するために次のような施設がある。
―――チェルノブイリ原発(発電所の敷地とその周辺を含む)のある地域から流出する放射能を帯びた土砂をせき止めるための隙間のないダムと川底に作られた沈澱用の狭い壁。
―――放射性核種の流出を阻止するために、小川に作られた急ごしらえの隙間のないダムと濾過用のダム(131ヵ所)。

 これらのダムの他に、チェルノブイリ原発事故の後で、ソ連政府は原発の周囲に汚染検査と汚染を防止するために蜂の巣状に10メートル間隔でボーリングを行った(深さは地下水脈にまで達する)。事故後2年にわたって、この井戸水に含まれるストロンチウム90の放射能濃度を監視してきたが、ストロンチウム90の濃度はバックグラウンドの放射線レベルを超えていないことを確認した。水が必要な場合は、この井戸から冷却用の池へポンプで水を汲み出すことができる。
 防護施設を検査した結果、放射能流出防止用の施設は十分機能していることが判った。特に、チェルノブイリ原発に最も近い場所に建設された施設は、

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実際にこの地域からの放射性核種の流出を完全に防いだ。
 ソ連国家水質・環境管理委員会の専門家による予測(最初の予期は1986年5月に出された)では、川と人工貯水池での放射能汚染レベルは基準値を超えないとされ、後の測定でその予測の正しさが検証された。
 地方のどの川も許容濃度は超えないという最も重要な予測は、1987年春の出水期に明らかになった。測定結果は予潮を証明するには至らなかったが、キエフの人工貯水池に実際に存在している土砂の放射能は予測値よりも少ないことが判った。1988年と1989年の春の出水期には、放射能の濃度はさらに低い値になった。
 さらに、黒海(ドニエプル川の河口にある)の水の中にも低い濃度の放射性核種が認められた。しかし、これからは放射性核種の濃度も減少するだろう。
 地表面での放射能の移動に関しては不安がある。大きな範囲でみた地域の汚染について述べるときには第二義約と思われるような、放射能の水平方向への移動がある。 ――― 放射能のレベルを示す等高線は、実際には、計算による放射能の移動レペルを超えて混ざりあってはいない。

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土壌の汚染

 風によって舞上げられる放射能の割合がわずかながらあるため、風速が毎秒10メートル程度以下であるような大気中では、許容値以下ではあるが、種々の放射性物質(プルトニウムを含む)は、遠くの地域においでも、実際にはいたる所で見つかる。
 今でも、汚染地域の土壌、この地域を流れる川、植物に含まれる放射能の調査が続いている。
 1988年に行われた航空機と地上からの35方平方キロメートルの面積に及ぶ主な地点の調査の結果確認され、追加された初期段階の資料がある。
 状況の違いにより、汚染地域の放射能濃度を示すセシウム137が1平方キロメートル当り15キュリー【1平方メートル当り55万5,000ベクレル】と1平方キロメートル当り40キュリー【1平方メートル当り148万ベクレル】の等高線や、図には示されていないが、ストロンチウム90が1平方キロメートル当り3キュリー【1平方メートル当り11万1,000ベクレル】、プルトニウム239、240が1平方キロメートル当り0.1キュリー【1平方メートル当り3,700ベクレル】の分布は場所によって著しい変化をしている。
 セシウム137の放射能濃度の等高線は居住区の3,600ヵ所以上から採改した土壌の分析結果と、放射能に汚染された森林地帯と農地を航空ガンマ線分光測定により撮影したデータを用いて作成された。
 セシウム137と他の放射性核種によって一定レベル以上に汚染きれた地域は全部で10,000平方キロメートルである(内訳は、ロシア共和国で2,000平方キロメートル、ウクライナ共和国で避難させられた地域500平方キロメートルを含めて1,500平方キロメートル、白ロシア共和国で避難させられた地域を含めて7,000平方キロメートル)(図に示す)。これら汚

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放射線分布地図
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図1-1.セシウム137による放射能汚染分布
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(40Ci/km2 = 148万Bq/m2, 15Ci/km2 = 55万5,000Bq/m2)

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図1-2. 放射線分布
(1986年5月10日現在、毎時5ミリ・レントゲン【約50ミリ・シーベルト】以上の地域)
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図2.セシウム137による放射能汚染分布
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(40Ci/km2 = 148万Bq/m2, 15Ci/km2 = 55万5,000Bq/m2)
チェルノブイリからほぼ北方約140kmの地点にゴメリがある

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染地域には合計で23万人を超える人々が居住する640の町がある(ただし、避難させられた地域を除いて)。
 事故の結果、セシウム137の高濃度汚染地域に指定された場所は、より高い放射線のエネルギーが残っている(しかし許容量よりは著しく低い)。ズリンクとニコラーエフ(ブリャンカ地方)のガンマ線の強度さは1時間当り0.15〜0.35ミリ・レントゲン【約1.5〜3.5マイクロ・シーベルト】、ブイス。ボルケとセリーツェ(モギリョフ地方)では1時間当り0.25ミリ・レントゲン【約2.5マイクロ・シーベルト】、マリ・クレシャフとマリ・ミンカフ(ジトミール地方)では1時間当り0.2〜0.25ミリ・レントゲン【約2〜2.5マイクロ・シーベルト】、避難させられたチェルノブイリ(キエフ地方)では1時間当り0.04〜0.17ミリ・レントゲン【約0.4〜1.7マイクロ・シーベルト】、そしてプリピャチの町ではガンマ線が1時間当り0.1〜1.6ミリ・レントゲン【約1〜16マイクロ・シーベルト】でる。
 チェルノブイリ原発を運転するために建設されたスラブの町では、放射能レベルが自然環境レベルと同じ1時間当り0.015〜0.03ミリ・レントゲン【約0.15〜0.3マイクロ・シーベルト】である。町の東と西に隣接する森林地帯には汚染の高くなったいくつかの《しみ》がある(ただし、許容できる値より低い濃度である)。この値は、これらの町に住んだり、郊外を散歩したりすることの障害とはならない。放射能の痕跡は次のような外観を呈している、すなわち、東の《しみ》は除染のため森林が伐採されており、また、西の《しみ》は人が入らないように柵がしてある。
 ストロンチウム90やプルトニウム239、240は地図には示されていないが、いたるところに高レベル(ストロンチウム90が1平方キロメートル当り3キュリー【1平方メートル当り11万1,000ベクレル】、プルトニウム239、240が1平方キロメートル当り0.1キュリー【1平方メートル当り3,700ベクレル】)に汚染された場所があるが、これらの核種は人々が避難させられた地域(30キロメートルの範囲とそれに隣接する地域)の一定の場所に限定されている。最初の年に、

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合計186の居住区(11万6千人)の住民が汚染地域から避難した。その内訳はウクライナ共和国が75の居住区(9万人)、白ロシア共和国が107の居住区(2万5千人)、ロシア共和国が4つの居住区(千人)である。現在では14の居住区(白ロシア共和国で12の居住区、ウクライナ共和国で2つの居住区)に農民が避難先から帰宅している。さらに、30キロメートル地域内の南部にある10ヵ所以上の村における放射線環境下では、疎開から帰って安全に居住することができるかもしれない(クポバートエ、ガラディーシチェ、ブイチキ、グリンカ、ディブローバ、ザモーシニャなどの村)。
 1988年に終了した作業の結果として、1平方キロメートル当り5〜15キュリー【1平方メートル当り18万5,000〜55万5,000ベクレル】の汚染濃度とそれよりもさらに小さい汚染の《しみ》から、地図上に《セシウムのしみ》の等高線を描くことができるようになった。セシウム137による放射能汚染濃度が1平方キロメートル当り5〜15キュリー【1平方メートル当り18万5,000〜55万5,000ベクレル】である地域の全面積はおよそ2万1,000平方キロメートルである。1989年における放射能監視のための活動としては、農業対策が引き続いて存在する。そして現在までに、除染作業には1万人以上の人が動員された。
 これからの目標は、放射能の痕跡が形成されるに至った一般物理学的な解釈をすること、水源に降下した放射能の変化の様子を明らかにすること、ソ連国境から出ていった放射能の量を評価することである。そしてさらに問題解決のため、国際原子力機関の協定(ソ連が批准している)に従って、応用地球物理学研究所とソ連国家水質・環境委員会の研究・生産者連合会《台風》とが、原発事故によって大気中にまき散らされた放射性核種の移動と降下に関する数学モデルを作成することである。地域的に中規模のモデルと国境を横断して移動するモデルは10キロメートルから2千〜3千キロメートルや空間的範囲を含んでいる。

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 放射能汚染はどんなに小さな値でもつねに不安を呼び起こさせるが、しかし、ソ連保健省と国家農工委員会の定めた基準と指示を守りさえずれば、汚染した場所に定住しても健康に影響はない。
 チェルノブイリ原発事故によって生じたかなりの範囲の汚染地域には、勢力的でしかも原発の閉鎖を含む費用のかかる対策が求められる。住民が住んでいるセシウム137の汚染地域―――そこでは避難した地区より放射能が高い場合もある(1平方キロメートル当り15キュリー【1平方メートル当り55万5,000ベクレル】以上の汚染濃度)―――《きびしい監視》と呼ばれているその地域は外部被曝と内部被曝の線量を基準値以内に減少させるために、長期にわたる除染活動と農地改良事業の実行が必要とされる。しかしこの活動だけでは不十分なので、食料品を汚染めないもの(特に汚染のない地域から搬入した牛乳)と交換することによって被曝線量を低減する必要がある。このような処置により、これら地域に住む住民への放射能の影響をソ連保健省が定めた照射の許容限度の範囲内におさえることができる。いうまでもなく、チェルノブイリ原発事故は多くの、科学技術だけではなく心理的な問題をも引き起こした。

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おわりに

 当然のことながら、我国の諸地域での原子力推進という気運は目に見えて衰退した。世論により、地震多発地帯であるアルメニア原発は運転を停止しているし、クリミア原発では建設中止を審議中だし、チェルノブイリ原発の第3期建設は再開しないという決定がなされた。
 党中央委員会と政府は、チェルノブイリ原発事故の早急な後処理の問題(このことについては常時注意を注いでいる)並びに、安全水準の根本的引き上げの問題(技術手段の向上のみならず、職員養成の強化という面からも)につき、慎重に、何度となく検討を重ねた。そして幾多の方策がとられた。この件について、本年【1989年】2月、ゴルバチョフ書記長が現地を訪れた際に、ソ連の原発専門家が報告をおこなった。
 原発は正常に稼働していると一きは、非常にクリーンなエネルギー源である。すなわち、原発が大気中に放出する多少の物質(不活性ガスが主体)を許容限度まで希釈するのに、通常の火力発電所運転時に要する空気の数千分の1しか使わなくて済むのである(産出されるエネルギーの単位を考慮しての詣であるが)。
 重要なことは、原発はその道転に際して、地球の気候を変化させるようなガスを放出しないということである。世界の科学界は、このことを、1988年トロント(カナダ)とハンブルグ(西ドイツ)で開かれた世界大会で確認した。この大会では、《温室》効果を弱め、世界的な気候の変化による悪影響を未然に防ぐためには、有機燃料(石油・石炭・天然ガス)の使用をおさえることが不可欠であるということを打ち出した。すなわち、原子力発電と水力発電が主たるエネルギー源になるということである。
 多くの国々ですでに原発は総発電畳の半分以上をまかなっている(フラン

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ス約75パーセント、ベルギー約65パーセント)。我国では高々12パーセントに過ぎない。
 チェルノブイリの教訓により、実際に(以前の何倍も)原発の安全避転の強化を余儀なくされた(新規の原発ではいくつかの手順について)。そして、生態学的に地球の汚染を検討した結果、原子力発電が今後最も見込みのあるエネルギー源であると考えざるを得ない。

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(1989)チェルノブイリ/その過去と今後の展望 kohnoのブログ/BIGLOBEウェブリブログ
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