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zoom RSS (1989)チェルノブイリ原発事故から1000日(その2)

<<   作成日時 : 2012/02/04 21:41   >>

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http://kohno.at.webry.info/201206/article_18.html

001「チェルノブイリ原発事故から1000日」
http://kohno.at.webry.info/201202/article_9.html (その1)
http://kohno.at.webry.info/201202/article_10.html (その2)
002「チェルノブイリ/その過去と今後の展望」
http://kohno.at.webry.info/201202/article_13.html
003「チェルノブイリ・ノート」より
http://kohno.at.webry.info/201202/article_34.html (その1)
http://kohno.at.webry.info/201202/article_35.html (その2)
004「チェルノブイリのこだま」
http://kohno.at.webry.info/201202/article_42.html


(1989)チェルノブイリ原発事故から1000日(その2)

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説明

@常時監視地域: ゴメリ市とモギリョフ市にある415の居住区。住民は10万3,000人。この地域では住民の安全な生活条件を守るために多くの放射能保護対策が進められている。住民の健康診断が常時おこなわれており、汚染されていない食料品が他の地域から搬入されている。居住区の除染と整備、特殊な農業科学処理と土地改良作業がおこなわれている。
A定期監視地域: 637の居住区が含まれており、居住者は20万6,600人。この地域では住民の健康状況が常時観察され、食料品のチェックがおこなわれている。
B注民避難地域: 1986年6月〜8月に定められた。75の居住区が含まれる。この地帯から1万8,700人が避難させられた。その土地はポレーシェ国立自然保護区に移管された。
C無人地域: 最も強く放射能汚染を受けた土地。事故以前には20ヵ所の居住区があり、4,400人が住んでいた。ここの地域の周囲には柵が作られ、見張りがおこなわれている。この土地には国立自然保護区がつくられた。

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1986年1月現在での放射能汚染状況
(白ロシア共和国)
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----- p.19 -----

1986年1月現在での放射能汚染状況(詳細1)
(白ロシア共和国)
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(○は集落を示す)

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1986年1月現在での放射能汚染状況(詳細2)
(白ロシア共和国)
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チェルノブイリからほぼ北約140kmの地点にゴメリがある
(○は集落を示す)

----- p.21 -----

1986年1月現在での放射能汚染状況(詳細3)
(白ロシア共和国)
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チェルノブイリからほぼ北北西的340kmの地点にミンスクがある
(○は集落を示す)

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《汚染された》土地で《きれいな》麦が作れるか?

専門家の意見
Y.M. フサイノフ(Ю.М. Хусаинов)
白ロシア共和国閣僚会議第一副議長。白ロシア共和国国家農工委員会議長

 放射能に汚染された土地に人が住めるかどうかという問に対する答えは、我々が放射能からいかにして身を守り、家や道路の危険なほこりをいかに《洗う》ことができるかどうかということだけでは決まらない。放射能に汚染され、除染が不可能な家はもはや家としての値打がないのと同じである。事故後直ちに白ロシア共和国の国家農工委員会は汚染された地域での農業生産をいかに進めるべきかという方針の検討を開始し、現在その基本的な部分はかなり固まってきた。
 当委員会は白ロシア共和国保健省および関係省庁の放射線専門委員会と共にしかるべき勧告を三度に渡って農業部門に提示した。その勧告によれば、ほぼ白ロシア共和国全土にわたって飼料作物や小麦を栽培することが可能であり、畜産製品を製造することができる。そして得られた食料品の放射能レベルは基準値を超えないだろう。この勧告についていくらか説明をしよう。
 500万件以上にのぼる放射能汚染作物の測定と4万件以上の土壌分析に基づいて、各農場および各地域の土壌汚染に関する詳細な地図が描かれた。この地図によって、どこの地域に何の作物をつくればよいかということがわかった。3年間観察した結果、例えば【セシウム137の汚染】、穀類は1平方キロメートル当り40キュリー【1平方メートル当り148万ベクレル】までの汚染濃度

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の畑で栽培可能であることがわかった。同じく、じゃがいもは1平方キロメートル当り50キュリー【1平方メートル当り185万ベクレル】、菜種は1平方キロメートル当り20キュリー【1平方メートル当り74万ベクレル】、水分の多い土地で栽培するクローバーやえんどう豆は1平方キロメートル当り10キュリー【1平方メートル当り37万ベクレル】。また、乾燥地で栽培するクローバーやえんどう豆の場合20〜30キュリー【1平方メートル当り74万〜111万ベクレル】までは栽培可能である。2キュリー【1平方メートル当り7万4,000ベクレル】以下の飼料畑で栽培される干し草は家畜用飼料としての貯蔵が許可される。つまり、作物に応じて正しく畑を選べば、その畑から得られるものは《きれい》である。しかし、1平方キロメートル当り80キュリー【1平方メートル当り296万ベクレル】以上の濃度の汚染地帯においては作物の栽培は不可能である。このような土地には植林をおこない、森林として利用する。
 本当に《汚れた》畑から《きれいな》作物ができるのだろうか? いくつかの数字をあげてみよう。加工された飼料についていえば1986年には5.3%以上が汚染検査に合格しなかった。1987年にはこの割合が2.8%となり、昨年【1988年】は1.6%になった。同じようなことが穀類についてもいえる。したがって【毎年不合格率が減少することから】、このような放射能に汚染された土地でも農業は可能である。
 次に食料品であるが、豚肉はほぼどこでも《きれいな》ものが得られていが、残念ななことに牛肉と牛乳は放射能をよく《吸収》している。多くの人がこのことを知っていて不安に思っている。当委員会に届いた手紙によると、ある農場から食肉工場へ雄牛を何頭か出荷したところ受け取りを拒否された。しかし一ヵ月後、同じ雄牛を出荷したら簡単に受け入れられた。一体どうなっているのか!」と手紙の主は怒っている。これはきわめて単純なことで、セシウム134と137は生物学的に非常に動きやすい放射性核種である。従って、放射能に汚染された飼料を与えなければ、2〜3ヵ月たつとこれらの核種は牛

----- p.24 -----

の身体の外へ排出され《きれい》になるのである。白ロシア政府は、ゴメリ市とモギリョフのコルホーズとソホーズに対し、1989年用に27万4,000トンの濃厚飼料を優先的に供給した。これは出荷前に牛にこの濃厚飼料を与えて《きれいな》製品を得るためである。
 このように、《汚染された》土地は不毛というわけではない。うまくやりくりすれば食物を作ることができる。
 農産物の検査体制についてもふれておこう。ゴメリ市とモギリョフ市各地区およびブレストスク(Блестск)市、ミンスク市、ビテブスク(Витебск)市のいくつかの地区に393ヵ所の放射能測定室が設置されており、その内訳は獣医関係124、農業化学60、食肉工場24、加工工場93、食品工場58、野菜・果物加工工場34ヵ所となっている。1平方キロメートル当り15キュリー【1平方メートル当り55万5,000ベクレル】以上の汚染地帯にある全ての農場には専用の線量測定所がつくられている。コルホーズとソホーズを合わせると356ヵ所にこのような測定所がある。
 放射能汚染のレベルにより白ロシア共和国の居住区全体が三つの地域に分けられている。つまり、《きれいな地域》、《定期監視地域》、《制限地域》あるいは《常時監視地域》である。
 《きれいな地域》ではときどき放射能検査が行われている。《定期監視地域》では《抜取り式》の検査が、《常時監視地域》では全ての食料品が検査されている。これはコルポーズ、ソホーズ、自家農園のいかんにかかわらず検査されているということである。どの放射能測定室もよく整備されている。現在我々は、総額900万ルーブル【1989年当事、約18億5,000万円】以上を投入した16,000点以上の計測装置を持っている。この装置で食料品の検査がしっかりとおこなわれている。

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質問: 食料品の一部が汚染されているとのことですが、放射能に汚染した肉や牛乳はどのように使われているのですか!
答弁: 汚染された食料品の大部分は1986年に生産されたものであり、食肉コンビナートで処理された汚染肉は2万8,000トンである。このうち3,900トンは地中廃棄され、5,000トンは乾燥飼料の原料として使用された。さらに他の地域に乾燥飼料用として1万5,000トンが放出された。残りの肉は保管中であるが、現在チェルノブイリ地区に地中廃棄場所が建設されており、それが完成すればこの残りの肉【4,000トン】はそこへ運ばれることになっている。原発事故後、放射能に汚染きれた牧草などを食べる前に急いで屠殺された家畜の肉でも放射能に汚染していることがある。このような肉についても放射性核種を除去する特殊な装置を用いれば、家畜の乾燥飼料の原料となる。この特殊装置のテストは現在進行中である。
 牛乳についても同じような状況にある。汚染牛乳から人間の健康に《危なくない》製品を作る方法が開発されテストされている。牛乳全体の汚染度を100とした場合、脱脂乳は90となり、クリームと脂肪分20パーセントのサワー・クリーム(スメタナ:сметана)は70、パターは15、乳脂は0.6の汚染度となる。脂肪が放射性核種をあまり含まないという性質をつかえば、汚染牛乳から衛生基準に合致するようなパターをつくることができる。放射性核種を完全に除去する実験設備が現在テスト段階にある。この装置で除染された食物は家畜の餌にすることができるし、汚染された残りの部分は地中廃棄すればよい。

質問: 常時監視地域にある農場にも農産物の生産割当があるのはなぜか!

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 つまり、この地帯で安全な農産物を得ることは実際上不可能ではないのか!
答弁: 汚染レベルがあまりにも高いところでは何もつくれない。たとえばゴメリ市だけでも《そば》の作付面積は8,000ヘクタールも減少した。大豆、じゃがいも、野菜の畑も大幅減反となった。羊牧場も閉鎖された。しかし人々が住むことが許されている場合、小麦を栽培し、草を刈り、家畜の世話をやめさせることはできない。またそういう仕事はむだだとは思わない。いままで私が述べてきた勧告をきちんと実行すれば《安全な》食物を収穫することができる。

質問: しかしそのような食物は高くつくのではないか! 汚染されていない土地で食物を増産するために資金を再配分する方が経済的にみて有利ではないか!
答弁: この問題は非常にむずかしいも 現状では、一般的な回答をすることは不可能に近い。もちろんそのような計算はいずれおこなわれるだろう。しかし、住民の利害に関する部分については単に金銭だけが尺度ではないだろう。農民の多くは住み慣れた土地を離れたがらないのであり、そういう彼らの願望も考えなければならない。
質問: 乳製品や肉製品の汚染度をラベルで識別する方法をどうして採用しないのか! また、同じような店で、バターを包で売ったり、はかり売りをしたりまちまちなのはどうしてか!
答弁: 放射性物質の含有量が基準値以上の食品は販売網には出されないので、ラベル表示をことさらする必要がないということである。店に並んでいるものはすべて《きれい》である。全ての食品を小分けにしていないのは包装機器と資材が不足しているからでしかない。

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質問: 3年近くの間、汚染地帯では密閉の運転室(保護装置)の付いた機械が農作業に必要だというふうに話されているが、いまだに実現していない。一体、いつ実現するのか!
答弁: 白ロシア共和国の国家農工発委員会と政府はたびたびソ連当局に対して、農民の機械作業をより安全なものにするための協力を要請してきた。政治レベルでの約束はあっても、実際的な面での援助は今のところないのが現実である。過去3年間に入手できたのはわずか825台の保護装置付の農業機械である。これは必要量の数分の1でしかない上に、エアコンが付いていないものばかりである。しかも、ミンスクのトラクター工場は保護装置の量産ができない状況にある。

質問: 多くの汚染牛乳は個人飼育の牛から生産されている。このような汚染牛乳をなくすために、農民はどこできれいな干し草を入手すればよいのか!
 大きな農場には他の町からの飼料が搬入されているが、家で飼っている牛は家の周りの草を食べるしかない!
答弁: 汚染地域にいる個人所有の家畜用として年間3千〜4千トンの干し草が搬入されている。もちろんこれでは足りない。この汚染地域で《きれいな》飼料をつくり、《安全な》牧草地をつくらなければならない。そのために汚染地域の農場にある沼地数百ヘクタールが干拓され、草原にはたい肥の替わりに化学肥料がまかれた。それでもなお適当な牧草地がつくれない場合は、個人での牛の飼育はあきらめて、その牛を大きな農場へ供出するしか方法がないだろう。

質問: モスクワの専門家が汚染地域へやってくる場合、彼らは自分たち

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で用意した食料を持ち込んでいると聞いたことがある。あなたの場合はどうしているのか!
答弁: わたしはそういう地域にしばしば出かけたし、今もよく行っている。いつも住民と同じように食べている。自分のための《コンテナ入りの食料》はいっさい持参していない。

質問: 白ロシア政府が共和国内に原子力発電所から出る放射性廃棄物を地中廃棄することに同意したというのは本当か!
答弁: (V. エフトゥフの答弁) それはうそだ。私は政府がそのような約束をしていないことをはっきりと断言する。そのうわさは無責任な人々が無知な人間を相手に流したものだ。白ロシア共和国には放射性廃棄物の貯蔵所はないし、その建設の予定もない。

質問: 農作業にあたっての勧告は1986年夏に初めて出されている。勧告はその後の経験によって変更されているか!
答弁  過去3年間、国家農工黍農会は汚染地域における農作業についての勧告の見直しを3回おこなった。新しい勧告は前のものと比べではるかによくなっている。何よりも放射能汚染の基準がきびしくされている。中でも飲料水と牛乳については10分の1および100分の1にまで低くされた。

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《汚染地域》にアスファルトを敷きつめる?

専門家の意見
V.F.スミルノフ(В.ф. СмирновB)
白ロシア共和国住宅公共事業省次官

 事故直後、汚染地域の運命を決定したのは井戸であったといっても間違いではないであろう。放射能を浴びた家はきれいにするか、あるいは壊して新しい家を建てることができる。道にはアスファルトを敷き、土地も掘り返せばよい。食料品もきれいなものをよそから持ち込めばなんとかなる。しかし、きれいな水だけはこの汚染地域内で見つけなければならなかった。このため、事故直後の数ヵ月間で3,000ヵ所以上の井戸が《きれい》にされた。プラーギン、ホイニキ、ナローブリャで地表の水が危険であることがわかったので、5月30日までに11ヵ所の地下井戸が掘られて市の水道につながれた。ホイニキの取水場では鉄分を除く装置が使用されるようになった。市民の半数がソージェ(Сож)川の水を使っていたゴメリ市は特にきびしい状況にあった。きわめて短期間のうちに新たに地下取水場と水道がつくられ、市民は地下水を使えるようになった。その他の居住区にも新しい取水場がつくられ、現在ではすべての汚染地域に住む人々の飲料水に対する不安はなくなっている。
 ところで、汚染された水はどうなるのかということである。建物、道路、自動車などを除染した後にはかなりの汚染水が残される。我々は白ロシア科学アカデミーと協力して水中の放射性核種を除くために「放射能除去装置」のテストをおこなっている。この実証試験設備はすでにホイニキで使用されている。

----- p.30 -----

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質問: プラーギンとホイニキでは自家製の食物を食べることが禁じられているが、それではそこに住む農民は店でどんなものが買えるというのか!
答弁: (白ロシア協同組合理事長 G.Z. グリシチェンコ(Г.З. Грищенко)の答弁) 放射能に汚染した村の住民には一人一日当り180グラムの計算で肉が配給されている。汚染地域の村にある店では牛乳、麦その他の食料品が品切れにならないように努力する。店に品物がなくなることがあるのは確かだ。輸送手段がないことがその原因である。特に、冷凍車が不足している。白ロシア共和国内の特殊車両はほとんどすべて汚染地域用に振り向けられているが、この特殊車両の数はそれほど多くない。今年はこの輸送力の不足を解消しなければならない。

質問: 汚染地域の住民には一日当り180グラムの肉が配給されるとのことですが、ホイニキでは協同組合の汚染した食料品の地には、店頭には何もありません。卵や野菜すらも不足しています。保育所や幼稚園には国の特別配給の肉が与えられないので、やむをえず協同組合の肉を買わざるを得ない状態になっています。これをどう説明しますか!
答弁: (グリシチェンコの答弁) 私は、いま言った数字を繰り返すことしかできない。食品の配分については白ロシア協同組合は権限を持っていないのであり、これは白ロシア共和国の行政機関の仕事である。もう一つ断わらなければならないのは、先ほど私が述べた数字は常時監視地域にある村の住民にのみ適用されているということである。その他の居住区の住民には今までどうりの一般基準で配給されている。

----- p.31 -----

質問: 私はスラブゴロド(Славгород)地区の衛生主任医師です。私たちの計算では、きびしい監視がおこなわれている地帯の住民に十分な食料を供給するためには740トンの肉が必要だと考えます。1988年に配給された肉は460トンです。1989年になってもこの量は増やされていません。これでは、妊婦や子供に対してすら十分な食事を与えることができません!
答弁: (グリシチェンコの答弁) スラブゴロド地区の常時監視地域の住民の需要に答えるためには228トンの肉製品が必要である。それだけの量は配給されており、肉の缶詰を計算に入れると一人一年当り92キログラムとなる。今年はこれが100キログラムになるはずである。

質問: スラブゴロド地区の34ヵ所の居住区には《きれいな》牛乳が運ばれているが、同じ地区内にある94ヵ所の居住区には運ばれていない!
答弁: (グリシチェンコの答弁) その通りだ。1988年後半までモギリョフ市執行委員会が34ヵ所の居住区を指定しており、そこへ乳製品を納入しなければならなかった。地区消費組合はさらに16ヵ所にきれいな牛乳を搬入するように手配した。現在のところこれ以上は不可能である。輸送用のトラックが足りない。このような状況下では地方の農場や組織の車をもっと動員して食料品の輸送にあてる必要がある。

質問: 一部の生徒は無料の食事を与えられているのに、他の生徒は有料であるという学校がいくつかある。子供たちにはこのような差別が理解できないだろう。教師は子供たちにこの状況をどうわかりやすく説明してやればよいのか!

----- p.32 -----

答弁: (白ロシア労働委員会議長 A. フォミッチ(А. Фомич)の答弁) 子供たちに関するこの問題は我々も知っているし、指摘の内容はよくわかる。しかし申し訳ないが現在のところは次のようにしか答えられない。つまり 無料で食事を与えられているのは《汚染された》村から《きれいな》学校へ通う生徒だけである。この差別状況を変更できるのはソ連国民教育委員会と財務省である。学校だけでは手に負えないこの問題の解決に必要な金額については今のところ不明である。しかし、これは解決しなければならない問題である。

提言: 子供は国の宝だ。子供は放射能に対して最も弱い立場にある。放射能から子供たちを守るための総合的な計画をつくる必要があると思う。白ロシア政府関係者、ソ連児童基金白ロシア支部、慈善協会がこれにあたるべきである。そしてそれは早ければ早いほどよい。

質問: 健康を害したものは一人もいないという確信に満ちた言葉が述べられたが、それでは、常時監視地域に住む家族の一人一人に2倍の月給と30ルーブル【1989年当事、約6,150円】の手当が支給されているのはどういうわけか!
答弁: (X. エトウトゥフの答弁) 確かに、幸いなことに住民は健康である。お金が支払われるのは、放射能があるため働くことが困難であり、健康を守るため必要ないくつかの取り決めを守らざるを得ないことに対する見返りである。もっと端的に言えば、自分の畑でつくった作物が取り上げられてしまうことに対する補償といってよい。働いたからにはそれに対する支払いが必要である。

質問: それではモギリョフ市の汚染地域に住む住民はどうして手当を支給されないのか!

----- p.33 -----

答弁: (A. フォミッチの答弁) 我々が提起した質問に対して連邦政府は、ウクライナ共和国、白ロシア共和国、それにロシア共和国のブリャンスク市には手当に対する同一の基準が定められていると答えている。手当が支給されるのは、汚染濃度が1平方キロメートル当り15キュリー【1平方メートル当り55万5,000ベクレル】のレヨ およびそれ以上という条件下で生活している住民のみである。モギリョフ市の大部分の汚染はこの条件よりも低いレベルである。このため、モギリョフ市の住民の気持ちはよくわかるが、さしあたって我々はこの点では何もしてあげられない。

質問: 白ロシア共和国はウクライナ共和国以上の被害を受けたのに、どうして他国の援助を拒否したのか。
答弁: (X. エトウトゥフの答弁) そのような援助の申し出があったら、喜んで受け入れたであろう。我々は連邦政府から莫大な支援を得ている。白ロシア共和国には11億5,000万ルーブル【1989年当事、約2,360億円】が支給された。

質問: 汚染地域には有志が派遣されている。汚染地域から戻ると彼らは一定の特典を供与してほしいと労働組合委員会に申し出ている。このため混乱が生じている。はっきりさせておくべきではないか!
答弁: (A. フォミッチの答弁) 特典はごくわずかな人々に限定されている。汚染地域で作業した人の総てというわけではなく、住民が退去させられた地域で働いた人のみに与えられている。汚染地域で働いた人々に電話が優先的に取り付けられるとか、住宅が与えられるといったことはすべて根拠のないことである。

提案: (ブラーギン地区執行委員会議長 アレクサンドル・プロコポフ

----- p.34 -----

(Александр Прокопов)の提案  住民が避難させられた村へ勝手に戻った人を弁護しているジャーナリストに質問したい。どうして《このような勝手な住民》が英雄として扱われるのか。ほとんどが年金生活者の老人である。彼らは放射能がなくても理想的とはいいがたい健康を、避難させられた村に戻ることによってさらに危険な状腰にしている、このことがどうしてほめられるようなことになるのか。そしてやがては不平がでてくる。あれがない、これも不足している。そして、私たちのことをほったらかしにしているとまで言い始める。これらの村では、店や郵便局などが閉鎖されており、何の便宜も受けられないのである。住民が生活している普通の村にあたりまえの物資供給をするのにも自動車が不足しており、食料も不足気味である。私はこの点でさきほどグリシチェンコ氏の余りにも楽観的な見解にはまったく賛成できない。
 そこで私は次のような提案をしたい。すなわち、地方の行政機関が住民の強制避難などを含む問題を独自に決定できるような法律をただちにつくってほしい。白ロシア政府がこの提案を検討し、必要であれば中央政府へ要請するようお願いしたい。このような法律はなんとしても必要であり、この点について汚染地域の労働者は例外なく私を支持している。

―――――――――――

----- p.35 -----

会合に参加した人の意見

T.F. クルトフツオーパ(T.Ф. Крутовцова)
ゴメリ市執行委員会副議長

 今日この会場には、ゴメリ市からも約40名の代表が出席しています。私たちは専門家の方々のお話を注意深く聞き、質疑応答で示された未解決の問題を知りました。このような会合を開いて下さったことを感謝します。
 現在、私たちははとても苦しい状況にあります。まず住民への食料供給がすべてうまくいっているとは言えません。除染作業や居住区の整備は思うようにはかどっていません。資金不足のため資材が足りないこともあります。
 こうした状況下で生活していると単に生産活動だけでなく、住民の心理状態にかかわる問題がいくつか出てきます。事故処理対策や啓蒙活動をおこなっているにもかかわらず、なお私たちは《放射能恐怖症》を紡ぐことができないのが現状であります。ところで私は、ここに御出席の代表の皆様にお願いしたいことがあります。私は、同僚たちと同じように、新聞や雑誌にでる汚染地域に関する記事を丹念に読み、テレビやラジオの放送に耳を傾けていますが、ジャーナリストが一部の欠点を見て正しくない情報を伝えたり、読者や視聴者を不安に陥れるのは本当に残念です。新聞やテレビでこのような報道がなされた後では、専門家のどんな説明も信じてはもらえません。たとえば、いろいろな問題についてどのような対策がとられているかについて発表したり、事故処理対策に7億ルーブル【1989年当事、約1,440億円】の資金が使われていることを伝えたり、さらに、健康回復のための大がかりな計画が予定されていることや、政府はとても住民のことを気遣っており、非人道的なことは決してしないといった内容です。一方それに対して私たちが耳にすることといえば作家アレス・アダ

----- p.36 -----

モビッチ(Алесь Aдамович)がなんと言ったか知っていますか、とか、《クロック(Крок):断片》 という番組を見ませんでしたか? といったことなのです。
 私たちは、ジャーナリストや作家や文化活動をしている人々が私たちの友であり、協力者であり、同じ考えを持っている人々であってほしいのです。
 その人々の発表作品や発言が、その反響より深く・しっかりとした根拠をもっていて、人々の記憶から消えないようになってほしいと思います。
 人材の問題についてもふれておきたいと思います。汚染地域では現在約200人の医師と約300人の看護婦が不足しています。しかしどうしたわけか、汚染地域で日夜働き生活している人々の勇気や献身的な努力についてどの新聞もとりあげようとはしません。私は、もしもこのような話題がもっとひんぱんに新聞紙面やテレピ画面に登場したならば、若い専門家たちがもっと進んで汚染地域へやってきてくれると信じています。現在では、多くの人が新聞を読んで私の住んでいるゴメリ市の住民をこわがりはじめています。汚染地域からミンスク市へやってきた子供たちを防毒マスクやゴム靴を着けて迎えた人もいたという話です。しかし、恐怖というものは、何もよいことを生みだしません。
 この会合で、事故の年【1986年】のメーデーにゴメリ市では子供を参加させたという非難の声が聞かれました。これはまちがいです。私たちはパレードをしていません。なぜなら、市の指導部にとって大切なことは住民の健康を守ることだったからです。
 そしで最後にもう一つ。医師たちは放射能から身を守るために住民が守るべき衛生上の注意事項をすべて手作りでパンフレットにしています。白ロシア共和国には科学アカデミーをはじめ多くの研究所があり、出版する力も大きいのに、住民向けのわかりやすいパンフレットがないのはどうしてなのでしょうか!?

----- p.37 -----

おわりに

 絶え間ない質問、それも鋭く、率直なものばかり。そして私たち一人一人にとってかけがえのない大地の運命と、私たちと子供たちの健康に関して心からの不安を訴えたものばかりであった。予定された討論会の時間内では答えきれない質問が出されたため、この討論会は7時間近くに及んだ。質問に対する答弁は確信的で重々しく感じられた。参加者の一人はこう言った。「私は余り期待しないで出かけたが、終わった時には希望を持って出てきた。客観的な事故の概要を知ることができたからだ。」
 討論会を終えるにあたってV.G.エフトゥフ副首相は「話はこまかいところにまで及んだが、誰にとっても有益な会話ができたと思う。」と語った。私たちは白ロシア共和国の指導者の立場と住民の立場の双方を知ることができた。これによりお互いの理解が進み、より多くの信頼感が生まれるものと思う。もちろん、今回の討論会では罵声もとんだ。この討論会はその意味で私たちがこれからさらに討論の方法あるいは意見交換の方法などをしっかりと身につけなければならないことをあらためて教えてくれたわけである。私たちは民主主義へ向かってみんなで力を合わせて進もうとしているのである。
 こめ討論会ではいくつかの提言もあった。これについては各省庁の代表者がよく調べ、必要とあれば現場へ出向いて問題解決のために十分な対策を講じ、住民にはよく説明することが必要である。
 今日の対話は国中に広く伝えられるわけであるが、単に精神的な意義にとどまらず、政治的な意味を持つことになるものと私は信じている。この討論会は事故の後始末をより効率よく進めていくのに役立つことであろう。
 討論会の参加者の一致した見方は、各省庁の関係者が汚染地域へもっと足繁く出かける必要があるというものであった。汚染地域の住民は、国政レベル

----- p.38 -----

の問題ではなく、単純で生活に密着した問題に関する政府の回答を期待しているのであり、それによって住民の生活態度が決まり、明日への希望あるいは国に対する不信となり、その勤労意欲が左右されることになる。





Y. ベフテレフ(Ю. Бехтерев)、
E. ゴレリック(Ё. Горелик)
(ベルタ(Белт)特派員)

M. クチコ(Кучко)、
N. ミハリチク(Х. Михарьчик)
(スピャズドゥイ(Звязды)特派員)


(1989年2月8日付《スビャズドウイ》紙より転載)

----- p.38 -----

(1989)チェルノブイリ原発事故から1000日(その1)
http://kohno.at.webry.info/201202/article_9.html

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